「灰が大雪のように」原爆投下後の状況証言 被爆体験者訴訟で原告尋問 長崎地裁

口頭弁論を終え、支援者らを前に報告する岩永団長(右)と、(左から)松田さん、松尾さん、濵田さん=長崎地裁

 国の指定地域外で長崎原爆に遭い被爆者と認められていない「被爆体験者」44人が、県と長崎市に被爆者健康手帳の交付を求めた訴訟の本人尋問が16日、長崎地裁(天川博義裁判長)であった。原告4人が原爆投下後に爆心地方向から灰などが降ってきた状況や、現在までに多様な疾病を患ったことを証言した。
 4人のうち3人は爆心地の東8~10キロに暮らしており、原爆の閃光(せんこう)や音を感じた後、晴れていた空が「暗くなった」と説明。当時7歳で、9.7キロ地点の旧北高古賀村にいた松田ムツエさん(84)は、灰が「大雪のように降り、面白がって手で受け止めた」。ため池に浮かんでいた灰をひしゃくで払いのけて生活用水として使い、間もなく下痢や歯茎からの出血、吹き出物などを発症したという。
 爆心地から8.3キロの旧西彼矢上村の自宅近くで降灰を目撃した濵田武男さん(83)は、これまでに白内障や皮膚がんを患い手術を繰り返したと明かした。8.1キロの旧西彼日見村にいた松尾榮千子さん(82)も皮膚がん手術などを何度も経験し、病状は灰などの放射性降下物による「内部被ばくの影響が大きいと思う」と主張した。
 原爆の「黒い雨」被害者の被爆者認定を巡っては、2021年7月の広島高裁判決を受け、国は救済拡大のための新たな認定基準をつくったが、対象は広島に限られている。爆心地の南10.5キロの旧西彼深堀村で原爆に遭った岩永千代子原告団長(86)は、体験者も黒い雨や灰の健康影響を受けたとして「なぜ広島と一緒に認定されないのか。差別ではないか」と訴えた。長崎の被爆地域は当時の行政区域に基づき南北に細長いが、「いびつな形に放射線が降ったというのは不合理」と強調した。
 被爆体験者の集団訴訟は2019年までに第1陣と第2陣が最高裁で敗訴し、原告の一部44人が長崎地裁に再提訴した。国の委託で手帳交付を担う県と長崎市が被告。次回の口頭弁論は5月15日。6月に専門家の証人尋問がある。


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