ダンビラムーチョ M-1敗者復活で”熱唱”決断の裏側 反対の声も「あのネタがやりたかった」

お笑いコンビ・ダンビラムーチョが着実に階段をのぼっている。昨年はM-1グランプリとキングオブコントの両方で準決勝に進出。M-1敗者復活戦では、歌手・森山直太朗の名曲「生きとし生ける物へ」を熱唱する漫才で爆笑をかっさらった。2人に爪痕を残した敗者復活戦の裏側、さらなる飛躍を目指す今年の意気込みを聞いた。

生きとし生ける全ての物へ 注ぐ光と影♪ 大原優一と原田フニャオの2人が楽器を片手にただただ真面目に熱唱しているだけにもかかわらず、会場に爆笑が起こった漫才は記憶に新しい。大原は「楽器まで使うネタだったんですけど、みんなが褒めてくれた」と意外な高評価に驚きの心境を明かした。

ネタが完成したのは昨年5月ごろ。きっかけは「とにかく『生きとし生ける物へ』でネタを作りたい」という大原の発案からだった。M-1の1回戦で披露したが「落ちたんじゃないかと思うほどスベった」と原田。2回戦以降は別のネタで勝ち進み、4年ぶりに準決勝に駒を進めたが、惜しくも敗退した。

敗者復活戦に望みを託すことになったが「知名度を考えると、勝ち上がるのはキツいかなと思っていた」と大原。視聴者投票で1組が勝ち上がる敗者復活戦では、当日のウケはもちろんのこと、知名度が大きく順位に影響する。昨年は、決勝常連のオズワルドやミキ、キングオブコントを制したビスケットブラザーズなどが名を連ねていた。「だったら、ふざけたネタの方が目立って良いんじゃないかと。90%が『目立ちたい』で、10%が『決勝に行きたい』だった」と当時の心境を振り返った。

そこで選んだのが1回戦以来、M-1では封印していたあのネタ。楽器まで持ち出す突飛なネタを敗者復活戦で披露することに周りからは反対の声もあったというが、大原は「そういうことじゃない。とにかくあのネタがやりたかった」と揺るがなかった。18年に初めて挑んだ敗者復活戦での経験も決断を後押しした。「野外でめっちゃ寒い。(お客さんが)なかなか集中して聞いてくれる環境じゃない」と4年前に肌で感じた空気感を頼りに「野外の方が盛り上がりそうだなと。(1回戦のように)スベることはない」と決断した。

大原が決心を固めた隣で原田は「敗者復活戦の1週間前くらいから、大原が異様にあのネタをライブでやりたがっていて『マジかよ』と思った」と回想。しかし「安定したネタよりワクワクしたネタの方が楽しいかも」と考えを改めた。また、敗者復活戦で披露するネタを芸人仲間に明かすと「ヨネダ2000の2人が目を輝かせて『最高ですね!』って言ってくれたり、ZAZYも『最高やん!』って、めちゃくちゃ背中を押してくれた」と心強い後押しもあったという。

M-1公式YouTubeチャンネルにアップされたネタ動画は、敗者復活戦に出場した17組のうち2番目に多い約70万回再生を記録(17日現在)。翌日には森山直太朗本人が絶賛のツイートを寄せるなど、敗者復活戦9位という順位以上に残したものは大きかった。原田は「『(敗者復活戦で)こんなことしてくれた!』ってワクワクする人が多くてよかった」と反響に胸をなで下ろした。

もしも、敗者復活戦を勝ち上がっていたら―。原田は「投票してくれた方の想いを背負って、同じネタをやっていた」と話し、大原も「高得点がつくことはなかったと思いますけど」と笑いながら同調した。2023年、目指すは〝もしも〟ではなく〝現実〟の決勝戦。大原が「本当にちょっとずつですけど(決勝進出が)近づいている感じはする」と手応えを口にすれば、原田も「ワクワクさせたいですね」と語った。

◆ダンビラムーチョ◆大原優一(おおはら・ゆういち=1989年11月6日、山梨県出身)と原田フニャオ(はらだ・ふにゃお=1989年5月19日、長野県出身)によるコンビ。吉本興業所属。ともにNSC東京校16期生で11年4月結成。18、22年に「M-1グランプリ」準決勝進出。20年から3年連続で「キングオブコント」準決勝進出。13年に開設したYouTubeチャンネルでは「野球部あるある」などを投稿しており、登録者数は15万人超え。

(よろず~ニュース・藤丸 紘生)

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