森保一監督率いる日本代表の新たなコーチに、名波浩氏が就任することが発表された。
現役時代、稀代のレフティとしてJリーグや日本代表で活躍。日本が初出場を果たした1998年のフランスワールドカップで10番を背負った選手でもある。
そんな名波氏が学生時代を過ごした、順天堂大学蹴球部の出身選手で最強のベストイレブンを選んでみた。
GK:真田雅則
1989年度卒
名波と同じく清水商業高校(現・清水桜が丘高校)から順天堂大学へ進学。
大学時代に日本代表入りを果たし、Jリーグ誕生に合わせて全日空から地元の清水エスパルスへ加入。長く“オレンジ軍団”の守護神として活躍した。
引退後は清水やジェフユナイテッド市原・千葉でGKコーチをしていたが、2011年9月6日、急性心不全により43歳で死去。
DF:大嶽直人
1990年度卒
真田の1歳年下で、1986年度の第65回高校サッカー選手権で優勝した東海大学第一のキャプテン。
卒業後は全日空からそのまま横浜フリューゲルスの一員となって活躍し、日本代表にも選出。「ドーハの悲劇」で知られる1993年アジア最終予選のメンバーでもある。
引退後は指導者となり、2022年からJ3の鹿児島ユナイテッドFCで監督を務めている。
DF:小村徳男
1991年度卒
名波とともに1998年のフランスワールドカップに出場(※試合は3戦目のジャマイカ戦に途中出場)。
長く横浜マリノスと横浜F・マリノスの主力として活躍し、1996年のサンフレッチェ広島戦ではDFとしてJリーグ初のハットトリックを記録している。
引退後は指導者となり、現役最後を過ごしたガイナーレ鳥取で2013年に監督を務めた。
DF:堀池巧
1987年度卒
清水東高校時代、長谷川健太、大榎克己とともに「清水東三羽烏」として知られた名選手。
右サイドバックにコンバートされた大学時代に日本代表に招集され、1993年のアジア最終予選では主力を担った。
Jリーグでは地元の清水エスパルスなどで活躍。引退後は指導者となり、2014年から順天堂大学蹴球部の監督を務めていた。
DF:遠藤雅大
1992年度卒
今や日本でお馴染みの存在となったベルギーリーグにおいて、初めて日本人選手でプレーした草分け的存在。
ジュビロ磐田で主力として活躍していた1994年頃は日本代表の常連でもあったが、ベルギーのメヒェレンへ加入したのはキャリア晩年の2000年だった。
引退後は指導者に加え解説者としても活躍。息子の遠藤雅己は明治大学から今年、父・雅大もプレーした横浜FCへ加入している。
MF:名波浩
1994年度卒
順天堂大学在学中から知らぬ者はいないほど特別な輝きを放っていたレフティ。
プロではジュビロ磐田で黄金時代を築き、2002シーズンにはJリーグで1st・2ndの両ステージを制する完全優勝を達成。自身のイニシャルから「Nボックス」と称されたシステムの中枢を担った。
引退後は磐田のアドバイザーを務めた後、磐田や松本山雅FCで監督を歴任している。
MF:旗手怜央
2019年度卒
順天堂大学出身で今一番ホットな選手。
三笘薫とともに2020年に川崎フロンターレへ加入すると、2年目には主力となりチームのリーグ連覇に大きく貢献。
2022年1月に加入したセルティックでもあっという間にファンのハートを掴み、今年はステップアップが期待される。
MF:天野純
2013年度卒
ユースから順天堂大学を経て横浜F・マリノスとプロ契約。
2019シーズンには伝統あるF・マリノスの10番を背負ったが、夏にベルギー2部のロケレンへ期限付き移籍したためこの年のJ1優勝メンバーには名前がなかった。
2022年に韓国へ渡り、蔚山現代FCの主力として活躍。今年、ライバルチームの全北現代モータースへ移ったことが話題となっている。
MF:平川弘
1986年度卒
長谷川竜也(2015年度卒)と迷ったが、ここは大先輩で日本代表歴を持つ快速ウィンガーをチョイス。
1987年に日産自動車に加入し、Jリーグ初年度の横浜マリノスではレギュラーとして活躍した。
日本代表でも1985年から1992年にかけて13キャップを記録。現在は主に北海道で解説者などを務めている。
FW:森山泰行
1991年度卒
Jリーグの元祖スーパーサブ。
大卒で名古屋グランパスへ加入し、特にアーセン・ベンゲル監督時代に途中出場で高い得点率を誇った。1997年には日本代表デビューも果たしている。
2005年、故郷である岐阜のFC岐阜(※当時は東海2部リーグ)へ加入。選手兼コーチ的な役割から取締役となり、地元クラブをJリーグ参入へと導いた。
今年、なでしこリーグ1部の朝日インテック・ラブリッジ名古屋の監督に就任。
FW:田中順也
2009年度卒
最後は、名波とはまた違った意味で強烈なインパクトの左足を持つアタッカー。
特別指定選手での活躍を経て2010年に柏レイソルへ加入すると、2011シーズンのJ1優勝などいくつものタイトル獲得に貢献した。
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2014年夏からはポルトガルの名門スポルティングで1年半プレー。その後Jリーグへ戻り、今年はFC岐阜での2年目を迎える。