松任谷由実50年の歴史!世代が違っても愛されるユーミン作品のパワー  1月19日は松任谷由実の誕生日

オリコンランキング1位「ユーミン万歳!〜松任谷由実50周年記念ベストアルバム〜」

2022年7月5日、ユーミンは『コンサートツアー 2021ー2022 深海の街』の公演で、姫路市文化コンベンションセンター アクリエひめじ大ホールのステージに立っていた。その日のコンサートは大変盛り上がり、4回ものアンコールに応えている。最後に歌ったのは荒井由実としてデビューした最初のシングル「返事はいらない」。その日は彼女がデビューした日からちょうど50年経った日でもあった。

簡単に「50年」と言ってしまうが、常に第一線でトップを走っていたわけではなく、途中にはセールス的な浮き沈みもあった。しかし、デビューから半世紀後に約1年かけたコンサートツアー(全63公演)を完走し、『ユーミン万歳!〜松任谷由実50周年記念ベストアルバム〜』がオリコンアルバムランキングで1位を獲得した上に、2022年の年間ランキングでは8位にランクインするなど、50年前に誰が想像できただろう。

そんなユーミンの50年間を、ユーミンの誕生日とベストアルバム1位獲得を記念して、ユーミンファンの視点から振り返ってみる。思い入れが強すぎてかなりの長文になってしまいそうなので、できるだけコンパクトに語る(笑)。

低迷期を脱却した「守ってあげたい」のヒット

私がユーミンを初めて聴いたのは小学2年生のとき。1974年にリリースされた「やさしさに包まれたなら」。当時不二家ソフトエクレアのCMに使われていて、ロイ・ジェームスが司会のラジオ番組『不二家歌謡ベストテン』でよく流れていたのを覚えている。

後に姉が買ってきた『YUMING BRAND』というベストアルバムでユーミンサウンドにちゃんと向き合うことになるのだが、「少しだけ片想い」や「ルージュの伝言」のような軽快でPOPな曲は聴いていて楽しかったし、「ベルベット・イースター」のように神聖なイメージの曲や、「翳りゆく部屋」の荘厳な雰囲気は子ども心にとても新鮮だった。

それ以上に気に入ったのは「きっと言える」。曲の間、ずっと転調しまくるのだが、E♭から始まるとG♭→A→Cと短3度ずつ上がる形でくるくるとキーが変わり、曲終わりでCからまたE♭に戻るという構成は、音楽理論はもちろん、コードが何たるかも理解していない小学生の私でさえ興味深く面白いものだった。

その後結婚を機に「荒井」から「松任谷」に名前を変えて活動するも、1981年に「守ってあげたい」がヒットするまでは、ご本人も認める「低迷期」。私もこの期間のユーミンはリアルタイムでほとんど聴いていない。しかしそれは単に当時のセールスの話であって、発表された作品は全てクオリティが高い。「埠頭を渡る風」「DESTINY」など、今も人気が高いこれらの楽曲は、この低迷期にリリースされたものだということを知る人は意外に少ない。

1981年、アルバム『昨晩お会いしましょう』を聴いて、中学3年生だった私は再び本格的にユーミンにドはまりすることになる。単なるポップスではなく、クラシックやジャズ、ラテン、フュージョンなど、あらゆるジャンルの音楽を取り入れた作品の数々を聴いているだけで、大人でオシャレな世界に入り込めた気がした。

女子高生のファンがぐっと増えた「PEARL PIERCE」

1982年、アルバム『PEARL PIERCE』がリリースされた頃、女子高生のファンがぐっと増えた気がする。松田聖子に曲を提供したことも影響しているのだろうが、OL、失恋、不倫…といった大人の世界を描くことで、憧れを増幅させていたのではないだろうか。私は当時高校生だったのだが、クラスメイトの女子のユーミン支持率は相当高かったし、「俺はユーミンのコンサートに行ったことがある」と言うだけで、羨望の眼差しで見られたものだ(それが自分のモテ期に繋がればよかったのだが)。

1985年、アルバム『DA・DI・DA』あたりになるとアルバムリリースと年末のプロモーション活動は冬の風物詩として定着。コンサートチケットは争奪戦となり、入手困難に。この頃のユーミンはかなりアグレッシブで、当時放送していたラジオ番組『ユーミンのおしゃまします』では毒舌全開。某アイドルや某アーティストのことも「大丈夫か?」というくらいけちょんけちょん。コンサートのMCも相当な毒舌具合で、ファンも「もっと! もっと言ってくれ!」と、より強気なユーミンを求めていた。

1988年リリースのアルバム『Delight Slight Light KISS』から1991年リリースの『DAWN PURPLE』あたりにかけての爆売れ状態は、ファンの私でさえかなり驚いた。バブル景気の「イケイケドンドン」な空気と、ユーミンのパワフルなプロモーションがうまくマッチしていたのだろうが、深夜ラジオ番組『オールナイトニッポン』のDJを担当したことで、ファン層が広がったことも大きかったと思う。

400万枚近くのセールスを記録した「Neue Musik」

ダブルミリオンまで到達した巨大セールスと、ゴージャスかつド派手な演出のライブスタイルで、そのまま快進撃を続けると思いきや、1992年リリースのアルバム『TEARS AND REASONS』以降、アルバムセールスが減少していく。トップを走っているのが当然だと思っていたところがあり、セールスがダウンしていくのを目の当たりにしたときは正直ショックだった。原因のひとつとして、ミリオンセールスを連発するユーミンに対して、世間(というよりマスコミ)のバッシングが強まり、「音楽というより商品を売っている」というような酷い言われ方をしていたし、「ユーミンは終わった」というような取り上げ方をする音楽番組まであったことから、「ユーミンを聴くのはもう古い」という空気が作られたからだと思っている。

この頃、ラジオ番組にゲストで来たアーティストに「売上競争に参加するのがバカみたい」と言われて落ち込んでいたそうだ。ご自身でもいろいろな葛藤があったに違いない。

しかし、1998年にリリースしたベストアルバム『Neue Musik』は400万枚近いセールスを記録。松任谷名義になって初めてのベストということもあったが、世間は間違いなくまだまだユーミンサウンドを求めているのだと安心した。

世代が違っても愛されているユーミン作品のパワー

2000年以降、『YUMING SPECTACLE SHANGRILA』のような豪華な企画以外のコンサートは、ド派手な演出から曲を落ち着いて聴かせるような形態に変わっていき、音楽に対してよりストイックに向き合う姿勢が見えた。また、テレビの音楽番組への出演も増やしていた。『ミュージック・フェア』『NHK SONGS』などで、その時の最新曲と過去の作品を披露することで、固定ファン以外の幅広い世代へアピールする良い機会だったと思う。プロモーション活動の一環として、バラエティ番組に積極的に出演するようになったのも新鮮だった。

そんな中でも2018年の『NHK 紅白歌合戦』の出演は衝撃的だった。スタジオで「ひこうき雲」を歌ったあと、サプライズでNHKホールに登場したときの観客の反応は物凄かった。「やさしさに包まれたなら」のイントロで「よかったら一緒に歌ってね!」と観客に言うなど、昔のユーミンからは想像できなかった。さらにサザンオールスターズの登場時に、桑田佳祐に歩み寄り、頬にキスまでやってのけるという、大物2人による絡みは、平成ラストのステージにふさわしいゴージャスなシーンだった。

そして2022年12月31日の『NHK 紅白歌合戦』にも出演、AI荒井由実との共演が話題となった。新曲「Call me Back」のラストで、50年前のAIの自分とユーミンが向き合い、手のひらを合わせる場面は胸熱。その後NHKホールのステージに登場し「卒業写真」を歌った場面では、会場全体が温かい空気に包まれているのがテレビ画面から伝わってきた。審査員席の坂東彌十郎・羽生結弦・芦田愛菜が、それぞれに歌に合わせて口ずさんでいるのを見て、世代が違っても愛されているユーミン作品のパワーを改めて思い知らされた。

近年、「私の名前が消え去られても、私の歌だけが詠み人知らずとして残っていくことが私の理想」と語っているユーミン。あなたの名前は作品とともに残り続けると思っている。いや、残って欲しい。

さて、今年は50th Anniversaryとして、全国アリーナツアー『The Journey』(全52公演)を開催する。果たしてどんなパフォーマンスを見せてくれるのか、今から楽しみである。

カタリベ: 不自然なししゃも

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