「最古の酒」(下) 酒にまつわるエトセトラ その2

林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録

【まとめ】

・砂糖以前に甘味として重宝されていた蜂蜜は、現代英語にも影響を与えている。

・日本語でも新婚旅行をハネムーン、妻や恋人をハニーと呼ぶなど蜂蜜に由来した単語がある。

・蜂蜜を発酵させた酒であるミード以前に、日本で最古の酒が作られていたという説もある。

蜂蜜を発酵させたミードが、人類が最初に飲んだ酒であろう事はまず間違いないが、その後ワインやビールが好まれるようになり、今はマイナーな酒になっている。しかしながら、現代英語にも「蜂蜜文化」の影響が見られると、前回述べた。

具体的に、どういうことか。順を追って見て行きたいが、まず、砂糖が普及する以前、甘みを楽しめるのは蜂蜜くらいなものであった、という事情がある。

サトウキビはインド原産であるとも、南太平洋の島々が原産で、東南アジア経由でインドに伝わったとも言われるが、今から2500年ほど前に、サトウキビの絞り汁を煮詰めて砂糖を取り出す方法がインドで発見されたことは、資料で確認できる。

そうして作られた砂糖には、今で言う「格付け」がなされており、最も純度が高い物はサルカラと呼ばれ、本来はサンスクリット語でサトウキビのことだが、これが砂糖とシュガー、両方の語源だとされている。

もう少し純度が低くて粘りのある、水飴に近い物はカンダと呼ばれ、こちらはキャンディの語源らしい。

このように、インドで発明された砂糖は、アラビア商人によってヨーロッパにもたらされ、地中海世界における取引が盛んになったが、11世紀以降は、十字軍がサトウキビを持ち帰ってキプロスで栽培したのを皮切りに、現在の版図で言うイタリアやスペインでも砂糖の生産が盛んになった。

その後は大航海時代となり、新大陸に多くのプランテーションが作られたことは、よく知られる通りだ。

とは言え、寒冷な気候でサトウキビの生産に向かず、地中海世界に比べて交易も盛んではなかった古代ゲルマニア(現在のドイツ北部からスカンジナビア半島の一部)は、このような動きに取り残され、甘味と言えば蜂蜜のことだと考える風潮が長く続いたのである。

実際、この地域に暮らすゲルマン人の間では「蜂蜜のように甘い」というのが最上級の甘さの表現で、砂糖のように…とは言わなかった。

さらに、ゲルマンの新婚夫婦は一ヶ月の間、ミードを飲んで子作りに励むという伝承があり、これは現在も強壮剤として珍重されるロイヤルゼリーの存在が関係しているとも、単にミツバチの多産にあやかったものだとも言われ、定説はないらしい。

ミードを飲んでから、具体的になにをするのかまでは詳しい資料が存在しないが笑、ともあれ初夜から最初の一ヶ月をhoneymoonと呼ぶのは、この伝承に由来する。

日本語では「蜜月」という、そのものズバリの訳語があるし、新婚旅行をハネムーンと呼ぶのも同様。さらに言えば妻や女性の恋人をハニーと呼ぶのも、ゲルマン由来の英語表現で「蜂蜜のように甘い」と同じ発想だと考えられている。

それで思い出されるのだが、わが国では、妻や女性の恋人をハニーと呼ぶ一方で、夫や男性の恋人はダーリンと呼ぶものと思っている人が多い。

ダーリン(darlin/darling)とは古代英語で「親しい」という意味のdeor(現代英語のdearに近い)と「小さい、可愛らしい」と言ったほどの指小辞lingとの合成語で、本来の用法に性別はない。

天才作曲家モーツァルトの半生を描いた『アマデウス』(1984年公開)という映画の中では、彼と敵対した作曲家サリエリがMy darlin girl(をモーツァルトに横取りされた)などと回想するシーンがある。

1960年代、米国のTVドラマが多数、吹き替えで放送されていた当時に、誤解が生じたものと見る向きもあるようだが、詳しいことまでは分からない。

酒の話題に戻して、「最古の酒は、実は日本で作られたのではないか」と考える人がいるようだ。

全国で多数発見されている縄文土器の中から、化石化した果実が見つかる例がある。

これは、単に保存のためではなく、発酵させる目的があったのではないか。そうだとすれば、ミードは1万年以上前から飲まれているとされるが、縄文時代はそれ以前までさかのぼれるから、すなわち「最古の酒」も日本人の遠祖の手になる物ではないか、と。

一読してお分かりのように、推測と言うより空想に近い話で、せいぜい、「その可能性もゼロではないが…」「話としては面白いが…」と言い得る程度である。

縄文時代の日本が、従来考えられていたような原始的な狩猟・採集社会ではなく、一部では農耕も存在したし、服飾文化や建築技術の面で非常に進んでいたことは、最近の研究でどんどん明らかになってきている。

青森市郊外で発掘された三代丸山遺跡に見られる技術など、学者や建築の専門家たちが驚愕したと聞く。

そうではあるのだけれど、だから日本人は昔からすごいのだ、世界の中心で咲き誇っていたのだと胸を張るのは、いささか短絡ではないだろうか。

ヨーロッパ観光に出かけたならば、いたるところに古代ローマが残した建築物を見ることができる。そして、その技術には現代人も瞠目させられる。

だからと言って、現在のイタリア人が世界中の人々から尊敬されているかと言えば、まあ、それとこれとは別だという話になるだろう。

アジアでも、お隣の国では一部のナショナリストが、東アジアの文物はことごとくウリナラ(わが国)にルーツがある、などと発信し、それに対して日本のネット民が、反発したり揶揄したりといってことが、延々と続けられている。

北朝鮮でも、歴史教育における世界四大文明とは、ナイル文明、黄河文明、インダス文明、メソポタミア文明というのが国際的な定義であるところ、これに「鴨緑江文明」を加えて五代文明と教えているそうだ(伝聞であることを明記しておくが)。

自国の歴史に誇りを持つ、というのは、もちろん悪いことではない。しかしながら、学問の対象としての歴史にナショナリズムや、少しも普遍的ではないイデオロギーを持ち込むのは感心しない。

酒を飲む時くらい、人種国籍だの歴史(問題)だのといったことは忘れて、陽気に楽しく、という具合に行かないものだろうか。

(つづく。その1もお読みください。)

トップ写真:養蜂場で積み上げられている蜂蜜の瓶(ドイツ ベルリン)

出典:Photo by Frank Hoensch/Getty Images

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