S1で30年「最高の競輪人生」 “鉄人”三宅さん 惜しまれ引退

S1での激闘を振り返る三宅伸さん

 競輪界の“鉄人”が昨年バンクを去った。玉野市出身で約30年間、トップクラスのS1に在籍した三宅伸さん(53)。選手生命を脅かす大けがを克服し最高峰レースのグランプリに3度出場、G1も制覇したレーサーは「最高の競輪人生だった」と振り返る。

 琴浦高(現鷲羽高)卒業と同時に進んだ日本競輪学校を成績トップで卒業し、19歳でデビュー。後方から一気に追い抜く「まくり」を武器にわずか1年でS1に昇級すると、50歳までその座に君臨し続けた。

 184センチ、92キロの鍛え抜いた肉体に加え、強靱(きょうじん)な精神力が第一線での活躍を支えてきた。ロードワーク中に車との接触事故で右膝を粉砕骨折したのは21歳のとき。医師から切断を覚悟するよう告げられたが、懸命のリハビリで10カ月後に復帰を果たした。「あれに比べれば、かすり傷」。その後も鎖骨骨折など度重なる故障に見舞われながらも不屈の闘志で乗り越えた。

 ファンの間で語り草になっているのが2008年12月、39歳で迎えた全日本選抜。先行する選手をゴール直前でかわし、悲願のG1初優勝を飾った。「デビュー20年目でやっとつかんだタイトル。皆さんの記憶にも残るレースになった」。5歳違いの弟分、石丸寛之(光南高出)とのワンツーフィニッシュをしみじみと語る。

 生涯獲得賞金10億円以上を稼いだ“豪脚”も近年は振るわず、S1からS2に。さらに昨年7月にはA級に降格。「体力の限界」と選手生活にピリオドを打つことを決意した。大勢のファンに惜しまれつつ同10月に玉野競輪場で行われた引退セレモニーでは師匠や石丸ら仲間から花束を贈られ、感極まった。

 「レースごとに選手が織りなすドラマがある競輪の魅力を伝えたい」と現在はレース解説やイベント参加を通じ情報発信に努める。自身を慕う後輩たちにメッセージを求めると、豪快に笑いながら言った。

 「遊んでいる暇はない。練習に励め」

G1のオールスター競輪で疾走する三宅伸さん=2013年、東京

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