80年代の人気ナンバーワン女優【ダイアン・レイン】の役者人生半世紀!  1月22日はダイアン・レインの誕生日、代表作はやっぱり「ストリート・オブ・ファイヤー」!

ダイアン・レイン、YAスターとして人気を確立した80年代前半

“年末ステイ実家” での楽しみは、屋根裏に長期放置されている雑誌の整理。1980年代前半の映画雑誌が結構揃っているんです。1982年はソフィー・マルソーとフィービー・ケイツが圧倒的だったなぁ… と思うものの、雑誌『スクリーン』の映画ファンが選んだ人気ベスト10の女優部門を1980年代を通して見ると――

 1981年:ブルック・シールズ
 1982年:ソフィー・マルソー
 1983年:ソフィー・マルソー
 1984年:ダイアン・レイン
 1985年:ダイアン・レイン
 1986年:ジェニファー・コネリー
 1987年:ダイアン・レイン
 1988年:ダイアン・レイン
 1989年:シガニー・ウィーバー

なんとダイアン・レインが総合第1位!

ダイアン・レイン―― 1965年1月22日ニューヨーク生まれ。6歳で初舞台。1979年『リトル・ロマンス』で銀幕デビュー。IQが大人以上で哲学書を愛読する裕福な家庭のアメリカ娘ローレンと、パリ市内のリセに通う男の子ダニエルとの淡い恋物語。続く『ラスト・レター』では余命3ヶ月の少女役。

子役出身では同時期にブルック・シールズが『プリティ・ベビー』、ジョディ・フォスターが『タクシードライバー』で幼い娼婦という衝撃的な役を演じたのに対し、ダイアン・レインは日本人好みの清純派で映画女優人生のスタートを切ります。

80年代前半は巨匠フランシス・フォード・コッポラ監督の『アウトサイダー』『ランブルフィッシュ』でヒロイン役に。マット・ディロン、C・トーマス・ハウエル、ラルフ・マッチオ、トム・クルーズ等YA(ヤング・アダルト)スターとしての人気を確立。

代表作「ストリート・オブ・ファイヤー」日本ではCM出演でも人気

そして1984年には代表作の1つ『ストリート・オブ・ファイヤー』が公開されます。

ロック・クイーン、エレン・エイム(ダイアン・レイン)の凱旋公演。コンサート会場は熱気に包まれ、ピークに達しようとしていた。その時、ストリートギャング “ボンバーズ” のリーダー、レイブン(ウィレム・デフォー)が乱入、エレンを連れ去った。エレンのかつての恋人トム・コーディ(マイケル・パレ)が帰ってきた。エレンを救い出すため、過ぎ去った愛の日々を胸にボンバーズに闘いを挑む。

オープニング、タイトルの後 “ロックン・ロールの寓話” の文字。ダイアン演じるエレンが歌う「Nowhere Fast」(歌は吹替)から、ウォルター・ヒル監督のスタイリッシュでスピーディーな演出で駆け抜ける1時間33分。ラストで歌う「Tonight Is What It Means To Be Young」(邦題:「今夜は青春」)は日本では大映ドラマ『ヤヌスの鏡』の主題歌・椎名恵「今夜はANGEL」と言った方が通るのかと。

本作品、1984年『スクリーン』誌の映画ファンが選ぶ作品では第1位。しかしながら配給収入は2.5億円。同年公開された『フットルース』15.5億円『ステイン・アライブ』15億円に比べるとヒットしたとは言えない意外な結果。更に本国アメリカではボックスオフィス800万ドルで年間91位…。

続くコッポラ監督の大作『コットンクラブ』(アメリカ公開1984年12月 / 日本公開1985年3月)は製作費5800万ドルに対しアメリカではボックスオフィス2500万ドルと大赤字。興行的な不振が続き、彼女のキャリアは一旦沈む結果になってしまいます(対照的に日本では配給収入8.7億円とまずまずのヒットに)。

1986年は主演作品の劇場公開が無いものの、日本ではマックスファクター、カメリアダイアモンド、協和発酵と言った企業のCMに出演。人気投票は3位。

サスペンス作品「愛は危険な香り」ではヌードを披露

1987年はサスペンス作品『愛は危険な香り』で女性監督カレン・アーサーのもとヌードを披露。「セクシャルな役は嫌」と言っていた彼女も、20歳を過ぎて考えが変わったのかもしれません。

日本のアイドルと違い、ヌードになっても人気が下がることはなく、続く『ビッグタウン』でもストリッパー役。劇場公開タイミングで3度目の来日。御堂会館での試写会舞台挨拶で見た記憶があるのですが、主目的は映画の宣伝ではなく、マックスファクターのファンクラブの結成記念パーティーだったようです。東京 / 札幌 / 福岡 / 大阪と全国行脚。ジョン・ボン・ジョビとの破局についての発言がスポーツ紙を賑わせたり、ハリウッドスターと言うより日本のタレントのような扱いに?

1988年10月『ダイアン・レイン / 愛にふるえて』で共演した俳優のクリストファー・ランバートと結婚。日本でのタレント業は、日野自動車のクルージングレンジャーのCMに起用され、“トラックの武骨なイメージを払拭させる事に貢献” という評価。しかしながら人気投票の方は1989年は10位、1990年はトップ20圏外に消えていきます。

1992年、にっかつ創立80周年記念超大作『洛陽』に加藤雅也の相手役で出演。ユン・ピョウ、ドナルド・サザーランドといった国際的スターも起用され、製作費50億円(ダイアンのギャラ推定2億円)に対し、配給収入は5億円という結果。公開翌年の1993年7月1日、にっかつは東京地裁に会社更生法適用を申請することになります。

リチャード・ギアと共演「運命の女」アカデミー賞で得た大きな評価

日本でのタレント仕事が少なくなったからかハリウッドに戻り、シルベスター・スタローン、ロビン・ウィリアムズ、ジョージ・クルーニー、キアヌ・リーブス等と映画で共演。2002年リチャード・ギアと共演した『運命の女』でアカデミー主演女優賞等演技面で初めて大きな評価を得るに至ります。

2010年代はDC『マン・オブ・スティール』でスーパーマンの育ての母、ピクサー『インサイド・ヘッド』で主人公の母の声、エレノア・コッポラ(フランシス・フォード・コッポラ夫人)長編映画監督デビュー作『ボンジュール、アン』等、小さい作品の主役からメジャー作品の脇役まで、継続的に演じ続けます。

ダイアン・レイン。本日は58歳の誕生日。女優としての評価は、一般的にはブルック・シールズ以上ジョディ・フォスター以下… という感じになるのかな!? まだまだお美しく新作映画にも出演されていますが、個人的には80年代の作品を再びスクリーンで観たい。2018年に『ストリート・オブ・ファイヤー』がデジタル・リマスター版で復活しましたが、次は可憐な『リトル・ロマンス』? セクシーな『愛は危険な香り』? 関係者の方々、ご検討よろしくお願いします。

2022年1月22日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: 高橋みき夫

アナタにおすすめのコラム ストリート・オブ・ファイヤー「俺のロック」を教えてくれた青春の寓話

▶ 映画・ミュージカルに関連するコラム一覧はこちら!

80年代の音楽エンターテインメントにまつわるオリジナルコラムを毎日配信! 誰もが無料で参加できるウェブサイト ▶Re:minder はこちらです!

© Reminder LLC