人口の46%が高齢者のまちで、若者と外国人が集う 北海道のある“ホステル”が飛躍するわけ

直近30年で、人口が約6,000人減っている北海道・白老(しらおい)町。そのうえ、65歳以上の高齢者が人口の約半数——。そんな過疎化が進む町に、若者や外国人が集まる、異色の宿泊施設があります。ホステル&カフェバーの「haku」です。

「リスクを負って挑戦するのは怖いですよ」

そう話すのは、オーナーの菊地辰徳さん。もともとアメリカと東京でコンサルティングの仕事をしていた菊地さんは、2019年、白老町にhakuをオープンさせました。

“これまでになかった客層”を呼び込む

−2℃の外気を肌に冷たく感じる12月。平日にもかかわらず、hakuのカフェスペースは、ランチ客で半分ほどの席が埋まっていました。話に花を咲かせているのは、主に、20代〜40代と思われるカップルや友人同士です。

ランチ客が落ち着くと、カフェスペースの奥にあるホステルから外国人の男女が歩いてきて、あたりを見回していました。菊地さんが流暢な英語で話しかけると、嬉しそうに答える男女。3人が英語で談笑するようすは、北海道の小さな町の光景とは思えません。

白老町の統計によると、2015年から2020年までの5年間で、町内に20店以上の新規出店があったそう。hakuのある中央通りも、営業中の店が多く、車通りも盛んです。

「以前はもっと寂れた印象で、シャッターを閉じている店も多かった」と菊地さん。一方、出店数が増えたのは、決してhakuだけの効果ではないといいます。2020年にできたアイヌ文化の復興・発展のための拠点となる国立施設「ウポポイ(民族共生象徴空間)」や、後につづくようにオープンした星野リゾートの温泉施設「界 ポロト」……白老町自体が今、注目を浴びているのもひとつの理由です。

しかしhakuは、これまで白老町に訪れることのなかった、2つの「新たな客層」を呼び込んでいます。

ひとつは、“町外”からやって来た20代から30代の若者。hakuで働くスタッフは10人中8人がこの年代で、同じく10人中8人が、町外からの移住者か、hakuで働くために町外から通う人たちです。

過去にお客さんとしてhakuに泊まった人が「ここで働かせてください」と希望し、住み込みで働き、そのまま白老町に移住・定住する例もあります。hakuから車で約10分のピザ専門店「Ale’s Pizza」や、徒歩圏内にオープンしたばかりのカフェの店主たちは、hakuで働いたのちに独立し、店を開きました。

スタッフのなかには、「配偶者の仕事の都合で白老町に引っ越してきて、パートで働いている」という女性も数人います。そのうちひとりの女性に「なぜhakuで働こうと思ったのですか?」と伺うと、

「もともと観光業で働いていたけれど、当時はこの周辺でちょうどよいパート先が見つからなくて。hakuがスタッフを募集しているのを知って、チャンスだと思ったんです」

と答えてくれました。hakuは、こうした「少しだけ働きたい」女性たちの雇用も生んでいるのです。

もうひとつは、ヨーロッパ圏や北米からの宿泊客です。白老町には本来、同じ外国人客でもアジア圏から来る人が大半ですが、hakuに泊まりに来るのは、オランダやドイツ、ポーランド、カナダなど、これまで町の統計にはみられなかった国籍の人びと。

宿泊予約サイトBooking.comの口コミには、「スタッフがフレンドリーで最高」「古いものと新しいものが上品に融合されている」といった、ヨーロッパ圏・北米の利用客の声が20件近く寄せられています。

本との出会いでアメリカへ

菊地さんは、1976年の千葉県生まれ。子どものころから読書が好きで、高校時代に“環境問題”に関する本を読んだことが、その後の人生を大きく左右しました。

“SDGs”という言葉すらなかった1990年代に、高校生が環境に関心をもつ……?多くの人は、その意識の高さに驚くかもしれません。ところが菊地さんは、こう言って笑います。

「今もその気(け)があるんですが、『真ん中を攻めたくない』というちょっとひねくれたところがあって。書店で本を選ぶときも、みんなが読むような流行りの小説じゃなくて、あえて難しい本を手に取って読んでいたんです(笑)」

それが、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの『森の生活』や、ラルフ・ウォルドー・エマソンの『自然論』でした。生き物が好きだった菊地さんは、人為的な理由で生き物が絶滅することの理不尽さに、「なんとかしなきゃ」と、根拠のない正義感を感じました。

ちょうどその時期、菊地さんは、ある突拍子もない行動を起こします。学校の「交換留学」制度を、両親に内緒で申し込んだのです。

「(留学生に使ってもらう)部屋もないのにどうするの!」

(写真はイメージ)

菊地さんが当時住んでいたのは、ごく普通の団地でした。ゆえに、「2日後にアメリカから留学生が来る」と知って、両親は大混乱。ただ、内緒で申し込んだのは、菊地さんが普段から両親に信頼されていて、ほぼ野放し状態だったがゆえでした。

こうして菊地さんは、本当にアメリカへ交換留学。

「もう、カルチャーショックすぎました。ホームステイした家が大豪邸で、家の中にゲームセンターがあったんですよ。庭にはヨットがあって、窓から夜景が望めて……。それでもその地域では、“超お金持ちの家”というわけではないようなんです。日本って経済大国と言われているけど、決して豊かじゃない。アメリカってすごい国だなって」

高校卒業後の進路を決めるとき、菊地さんを導いたのはやはり本でした。

書店で見つけた『アメリカの環境保護運動(岩波新書)』に、アメリカには環境問題を深く学べる4年制大学があること、環境保護活動のメッカがあることが、くわしく書かれていたのです。

英語が得意だった菊地さんはさっそくTOEFLを受験し、アメリカの大学に問題なく入れるレベルの点数を獲りました。卒業式の3日後、アメリカ・カリフォルニア州へ飛び立ったのです。

日本企業のハードワークに「もう死ぬ」

カリフォルニアの大学に5年間在籍したあと、現地の環境コンサルティング会社に2年勤めた菊地さん。25歳のとき、日本のコンサルティング会社に転職しました。

ところが、休日やプライベートの時間を大切にするアメリカの働き方に慣れていたため、あまりのハードワークさに「逆カルチャーショック」。夜中の3時にミーティングが入り、朝方5時に資料作成……という流れが普通だったといいます。

「上司が、眠くてどうしようもないからと、ボールペンで(上司自身の)太ももをブスブス刺してるんですよ。そんな環境で、『あと1年つづけたら、心身ともにもう死ぬんじゃないか?』と思いました」

27歳で東京の会社を退職したあとは、2年間、馬術に没頭。菊地さんは生き物のなかでも「馬」が好きだったのです。理由は、美しいから。それまで使う暇もなかったお金で、ニュージーランドの馬術チームの監督の家にホームステイし、そこで、美しい風景にも出会いました。

「環境に興味があるのは、もともと自然の美しい風景や、動物が好きだからなんです。それを守るひとつの手段として、環境を守りたい。ニュージーランドの風景は開発される前のカリフォルニアのように感じられて、本当に綺麗でした。今もいろいろなことをやっていますが、最上位にはいつも、『美しい風景をつくりたい』という大きなテーマがあります」

しかし、仕事をしない生活は長くはつづかず、気づけば貯金はゼロに。人とのご縁で、東北大学の研究員やコンサルティング会社の仕事に就き、11年が経ちました。

転機は、38歳のときでした。カリフォルニアの大学で知り合い、その後交流がなかった恵実子さんと、20年越しに東京で再会したのです。そして、半年でスピード結婚。東京での生活に疲れていた恵実子さんと、「もっと環境問題に当事者としてかかわりたい」「馬と暮らしてみたい」と考えていた菊地さんの思いが一致して、東京を出ることにしたのです。

アメリカ・東京・岩手……そして白老へ

移住先に選んだのは、日本有数の馬産地である、岩手県遠野市でした。SNSを通じて、2頭の農耕馬をひきとることもできた菊地さん。「馬は草を食べて、その力で人や荷物を運ぶ。これは再生可能エネルギーだ」と気づき、遠野で、“馬と人が共生する地域づくり”を始めました。

その時期、遠野市では、地域づくりイベント「遠野みらい創りカレッジ」を開催していました。菊地さんはこのプロジェクトにも参加していました。

すると数年後、白老町から菊地さんへ、100人以上が参加する地域づくりセミナーに「遠野みらい創りカレッジ」の実践者の一人としてお話してほしい、と依頼があります。白老に新しい自社施設をつくっていた東京の大手スキンケアメーカーの社長が「遠野みらい創りカレッジ」を町に提案したのがきっかけだといいます。

「これが、白老町との出会いでした。社台(しゃだい)という世界的な馬産地が白老にあることもこの時初めて知りました。当時、馬の環境を変えたいと思っていたし、東京のコンサルティングの仕事もまだ受けていて、東京への移動時間も、岩手は新幹線で3時間半だけれど、白老なら千歳から飛行機で2時間かからないんですよね。それで『北海道もありじゃないの?』と」

hakuから車で約10分の「社台」エリアにある、菊地さんが運営する牧場。東京ドーム約2個分の牧場で、2頭の馬がのびのびと放牧で暮らす。「海外の美しさには敵わないが、社台の風景にはポテンシャルがある。それを発揮したい」(菊地さん)

こうして2017年、妻と娘、2頭の馬とともに白老町へ移住。収入のベースを確保するため、白老町の地域おこし協力隊に応募しました。

「ジェットコースター具合がやばいですよね(笑)。一時は貯金もまたゼロになりましたし、怖いですよ。怖さしかないけど、とにかく進むしかないから」

ただ菊地さんにとって、役場から命じられた活動内容は、がんじがらめにも思えました。そこで菊地さんがとった行動は、これまでの彼らしい、思い切った行動で――

「『◯◯に所属してほしい』という依頼をお断りして、『それだとぼくの良さが出ません」と伝えたんです。それですぐに、hakuのプロジェクトを始めました」

具体的にプロジェクトが動きだすにつれ役場の担当者も理解してくださり、hakuの活動を応援してくれました。

2017年、地域おこし協力隊の活動の一環として株式会社hakuを起ち上げ、2010年に廃業した柏村旅館の改装にとりかかった。柏村旅館はかつて地域で愛され、惜しまれつつも廃業した老舗旅館だった

菊地さんは、白老に初めて来たときに、最高の立地にある元・柏村旅館を目にしました。そこを改装して、ホステルを開けないか? と考えたのです。周囲へのヒアリングで、元オーナーが町内で歯科クリニックを営んでいると知った菊地さんは、柏村氏を訪ねて、思いを伝えました。

「すると、突撃訪問だったにもかかわらず快諾してくださって。今も柏村さんは株主としてhakuに出資してくださっており、繋がりは消えていません」

公的補助金も使い、hakuは2019年4月にオープンを迎えました。初年度でいきなりパンデミックに見舞われましたが、地域おこし協力隊やコンサルティングの仕事で、なんとか経営を維持しました。

「やめたほうがいい」は気にしない

今ではひと月あたり、300人〜600人が宿泊するhaku。オンシーズンの8月〜10月は、あまりの人気に予約がなかなか取れません。

ただ、なぜhakuには、これまでになかった新しい客層が訪れるのでしょうか——?

「hakuは、今までと違う『母数』をつくることを意識しているんです。たとえば、白老町にもともとあった形態の店や施設を新たに始めたとしても、結局、町内のお客さまの奪い合いになってしまいますよね。町内のお客さまが今までの2倍、宿泊・飲食を利用してくださればいいですが、そうでないかぎり、地域にとっては相殺されるだけでプラスになりません」

「ホステル&カフェバーというスタイルにしたのも、温泉旅館や事業者向けの宿泊施設が町内にすでにあったからなんです。その結果、『安くてカジュアルな宿に泊まりたい』という旅慣れしたお客さまや、ウポポイやサーフィンなどに関心がある、知的好奇心の高いインバウンドの方々がよく泊まってくださっています」

ここまで、順風満帆だったわけではありません。新しい挑戦をする人にたいして「絶対にうまくいかない」「やめたほうがいい」という人は、必ず現れるもの。白老町内にかぎらず、菊地さんの元にもそうした声は複数届きました。

「ぼくは基本、そういう声は無視するんです。自分の事業を求めてくださる方にたいして、ただ淡々と、サービスを向上させていくに尽きます」

自分のやりたいコトや会社を存続させることが、結局は地域への貢献につながる、と菊地さんは考えています。「地域のために」というフレーズは今、日本中であたり前に使われていますが、本当に地域のためになるのは、お客さまに求められるサービスを提供して事業を活性化させ、雇用を生み、きちんと納税すること。

「だから、何かを始めるときに『地域のために』なんて言わなくてもいい。『自分はこれがやりたいんです!』のほうがよっぽど自然に入ってくる」と、菊地さんはきっぱりと言います。

現在は、hakuから車で数分の場所に、クラフトビール工場を建設中です。もともとhakuでは、帯広産や富良野産などのクラフトビールを提供していましたが、これからは「白老産のクラフトビール」が味わえます。

2023年2月の稼働に向け、準備中のクラフトビール工場。醸造は専門家に依頼し、ゆくゆくはビアパブも併設予定だ

クラフトビール工場を見学中、近所に住むおじいさんが顔を出し、嬉しそうにつぶやきました。

「白老で美味しいビールが飲めるなんて、いいなぁ」

常にわくわくすることを追いかけ、飾らず、自分の想いに正直に生きる菊地さん。そのエネルギーに引き寄せられるようにhakuにやって来る、若者や外国人客。

この先、菊地さんのような挑戦を実現させる人が増えたら、いったい、町にどのようなミラクルが起きるのでしょうか。

ライタープロフィール

原 由希奈

札幌在住の取材ライター。北海道内の素敵な人やコトを取材するほか、子育てや教育、CGなど幅広いジャンルで執筆する。辛いものとビールが好き。2児の母。

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