「段取り考えないとまた凄まじい被害が…」知ってますか?100年前の関東大震災で伊豆半島で津波被害 住民が地域防災を改めて見直し【わたしの防災】

10万人以上が死亡した「関東大震災」の発生から2023年で100年です。東京で起きた火災のイメージが強い震災ですが、震源域は相模湾。静岡県内には10mを超える津波が襲っていて、その教訓が伝えられています。

静岡県伊東市川奈の海から100mほど離れた高台にある寺、海蔵寺です。この寺の石段には、多くの津波の記録が残されています。下から3段目まで来たのが約170年前、1854年の「安政東海地震」の津波。その高さを上回ったのが、100年前の1923年9月1日「関東大震災」による津波です。

関東大震災の震源は神奈川県西部、深さは23km、地震の規模を示すマグニチュードは7.9。東京や横浜を中心に多くの家屋が倒壊し、同時に火災が広がりました。一方、震源に近い伊豆半島では、「津波」が被害を拡大させました。

<伊東市教育委員会 市史編さん担当 金子浩之主幹>

「2列の波が映っているじゃないですか。おそらく日本で唯一の関東大震災の津波の写真です。津波を捉えた写真」

伊東市が1月18日に開いた防災のイベントです。公民館に昔から飾られていたという津波の写真を紹介しました。関東大震災の津波では、現在の伊東市内で116人が命を落としています(静岡県大正震災誌1924より)

<伊東市教育委員会 市史編さん担当 金子浩之主幹>

「津波が来るから助け出すのをなるべく早くやって、垂直避難で高いところに逃げる。そういう段取りを考えておかないと、また、凄まじい被害が出てしまいますよと」

関東大震災で伊豆の東海岸を襲った津波の高さは、熱海で最大12m、伊東で最大9mとされています。海沿いの平地で多くの家が流されました。いま、大きな地震が起きたら何が課題なのか。住民たちが意見を交わしました。

<子育て支援団体を運営する人>

「津波が来たときに(母親たちが)乳児を抱っこして荷物を持って走っていけるのかなって。高台までいけるのかなって。普段からまわりの人たちとの関わりが重要だなって感じていますね」

<車いすを使う女性>

「自分自身が車いすですので、避難場所を私は一度も経験してないんですけど、きっと小学校か坂の上、行ってる間に津波に遭いそうな」

話し合ったのは「津波などの恐れがある時、支援が必要な人がどう逃げ、どう助けるのか」についてです。

<グループで話し合いの様子>

「警察の方へ上がる道知ってる?避難路、酒屋の所を上がっていく道、あれが指定されている」

「あそこまで結構、道が悪いんですよね」

「上がるのにコケは生えてる、草はすごい、とても階段一段一段が不規則なので」

「隣近所にどういう人が住んでるのかということぐらいは、みんなで知るっていうことをしていかないと」

地域として、どんな備えが足りないのか分かってきました。

<参加者>

「なかなか、いまはコロナで大勢が集まるのは難しいけれど、話し合うのは大事。いろんな地域の意見を聞いたほうがいいと思う」

<伊東市 危機対策課 福西裕介主事>

「行政の立場では考えもつかない課題とか、課題に対する解決策、こういう風にやればできるんじゃないかというところも出てきて(実りが)非常にたくさんあった」

震災から100年。節目の年にわたしたちの備えを、もう一度、見直すことが大切です。

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