豊洲に積まれた築堤の石

 【汐留鉄道倶楽部】東京・豊洲に明治時代の英国製SLが展示された、と聞いて見に行った。場所は芝浦工大付属中高校隣の広場で、SLは1886年(明治19年)製造の「403号」機関車。静態保存とはいえ、本物のSLは迫力がある。

 驚いたのはSLを固定する台座に、2019年4月に発掘され日本中を沸かせた「高輪築堤」の石垣の石が使われていることだ。

 

芝浦工大付属中高に展示された「403号」。台座には高輪築堤の石が使われている

 築堤は1872年(明治5年)10月、日本で初めて新橋―横浜間を走った鉄道の海上部分を支えるために石を積んで造ったもので、時を経ていつしか人知れず埋もれたままとなっていた。それが2019年、JR東日本の品川車両基地跡の再開発工事で土中を掘り返したことから、世紀の大発見に至った。

 この貴重な遺構は「開発か保存か」で国論を二分した末、最低限の築堤だけを現場に残して、あとは解体されることになった。21年9月の現地見学会に私も参加し、整然と何段にも積まれた石垣を目の当たりに、「本当に150年前の建造物なのか」と息をのんだ。同時に、「ありのままを残し、国民の共有財産となれば良いだろうな」と心底思った。「東京は埋め立ての歴史の繰り返し。何かが出るのは当たり前でいちいち保存していたら開発は不可能」との意見もあるが、これほど超一級の遺構はそうは〝出土〟しないだろう。開発事業さなかの発見とはいえ、残念な結末ではある。

 

SLのそばに展示された築堤の石

 その石垣の一部を、東京港をはさんだ5キロ先の豊洲にある同校が22年11月、JR東日本と港区から譲り受けた。四角い石がしっかり固定されて積まれ、SLの土台となっている。本物の高輪築堤から運ばれた石。じっくり見るとそれぞれ大きさは少しずつ異なり1個ずつがでこぼこあり、色も茶色あり灰色ありと様々だった。第二の〝石垣人生〟を豊洲の地で過ごし、再度SLを支えることになったわけだ。

 さらにSLのそばには別に2つの石も展示されている。案内文には「石は安山岩で相州真鶴をはじめとする全国から集められ…」と記載されてあった。ざらざらした手触りは台座と同じ。相当重そうだ。

 

2021年の見学会で公開された高輪築堤の石垣

 さて、SL「403号」は英国から日本に輸入され国鉄の前身である鉄道局やいくつかの鉄道会社で使われた後、1965年まで西武鉄道で活躍していた。廃車後は西武の横瀬車両基地に保管されていた。

 2022年に創立100周年を迎え記念行事を検討していた芝浦工大付属中高校は、前身が「東京鉄道中学」だった縁もあり、西武で保管していたSLを譲り受けることになった。さび付いた136年前の機関車はぴかぴかに整備され、きれいに生まれ変わった。私が見にいった時は親子連れらが楽しそうに運転台を上り下りしていた。日々変化する豊洲の街の新名所となることだろう。

 「403号」が実際に高輪築堤を走っていたかどうかは分からない。しかし、同時代に存在した機関車と石垣が長い時を経て再び一緒に過ごす―というのは何とも奇遇で嬉しいことではある。

 ☆共同通信・植村昌則

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