所ジョージの名盤「ホング・コングの逆襲」宇崎竜童や赤塚不二夫も参加!  1979年の所ジョージ、根っこにパンクを抱えたシンガーソングライター

初のメイン司会、「所ジョージのドバドバ大爆弾」

小学6年生のクラスでどんな芸能人が人気だったかといえば、1にクイーン、2にKISS、3、4は忘れて5に所ジョージだった。男子の間で『所ジョージのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)が流行していたのだ。どうやらすごく面白いらしい。

「替え歌コーナーが最高でさ」と噂が聞こえれば、そりゃラジオは聴きたかったが、放送時間は火曜深夜だ。翌朝起きて学校に行けない。「姉ちゃんがカセットに録音したら貸す!」と言われても、まだダビングなんて言葉すら知らなかったし。

ああ、気になる。気になって仕方がない。所ジョージってどんだけ面白い人なのか。当時人気だった月刊少女漫画誌『なかよし』で人気の漫画家、たかなししずえ先生がたまに漫画の中に彼を出演させるのは知っていたが…。募る思慕、燃え上がるリビドー! 私は興味津々でジョージを追いかけ始めた。

そんな小学女子の期待に応えるかのように、所ジョージが初のメイン司会となるバラエティークイズ番組が秋から始まった。『所ジョージのドバドバ大爆弾』(東京12チャンネル・現テレビ東京系)である。

木曜日の夜8時、もちろん毎週見た。「♪ ワーワー ブーブー そりゃもう大騒ぎ」と歌うテーマ曲「DO DO DO」(本人出演による、お菓子「ドンパッチ」のCMソングでもあった)で始まり、「元気元気、元気な子供は~!」という流行フレーズにあおられ、参加者がトイレットペーパーをぐるぐる巻き取るという迫力のゲームや、コント百連発による「100万円!100万円!」という掛け声に笑い転げながらテレビに噛り付いていた。

舞台を縦横無尽に駆け回り、汗だくで司会に興じる20代の所ジョージは、私にはどこか冷めて見え、それが格好良かった。ちなみに、所ジョージはこの番組で世間に名を知らしめたらしい。当時についてジョージは後にこんな風に語る。

「とにかく名前を覚えてもらいたくて何でも引き受けた。どんな仕事をやってもソングライターの思いを持っていればいいと思っていた」

超A級のB級センスを持った、社会派コメディーソング「寿司屋」

そう、所ジョージはもとはコミカルフォーク系シンガーソングライターなのだ。所ジョージという芸名自体、ダウンタウンブギウギバンドの前座を務めるにあたり、宇崎竜童から「所沢(出身地)の柳ジョージ」という意味で命名されたものだった。

テレビで話題になったタイミングでシングル「寿司屋」が発売される。近所のレコ屋で予約して買い、ジャケットを見て脱力した。所ジョージが寿司の着ぐるみ姿で写っている。マグロとイカだろうか。

早速聴くと、早口でぶつぶつ言って歌詞が聞き取りにくい。歌の強弱が激しすぎて音量差でステレオの調整が難しい。編曲は、今も親交が深いTHE ALFEEの坂崎幸之助だが、兎に角サウンドレンジがムダに広かった(笑)。

でもクラスでは「寿司屋」は圧倒的人気を誇り、みんなしてレコードジャケットを透明のクリアケースみたいな下敷きに入れていた。ちなみに私の下敷きは、表はゴダイゴ、裏側は所ジョージ仕様だった。

歌詞は、寿司屋でのエピソードにひたすら屁理屈をこね続けるだけの内容で、

 トロがとろけるというのは  考えているシャレか  刺身を食って毒にあたって  死んだほうがいい  と言いたかったけど気がつかないふりをして気をつかってた  これが ひねくれてると  どこがひねくれてると  言えるだろうか

… など、適当なのか辛辣なのか、計り知れないシュール感とポテンシャルを感じさせ、私はこの曲で所ジョージにパンクを感じてしまったのだった。超A級のB級センスを持った、社会派コメディーソング。まだパンクなんて言葉を知る前だ。

アルバム「ホング・コングの逆襲」宇崎竜童や赤塚不二夫も参加

その後、後追いで「寿司屋」を収録した香港録音による5thアルバム『Revenge Of Hong Kong ホング・コングの逆襲』(1979年)を聞いた。

これが素晴らしかった。エキゾチックで摩訶不思議、コンセプチュアルで実験的。ジャケットはビートルズのパロディー。中国語を随所にちりばめ、異国情緒もたまらない。

赤塚不二夫が企画・脚本、山本晋也が監督、所ジョージが主演したハチャメチャ映画『下落合焼とりムービー』主題歌にして宇崎竜堂が作詞した「TOKYOナイト&デイ」をはじめ、そのシングルカップリング曲「Summer Come Back To Me」、赤塚不二夫作詞による「チャイニーズ・ホテル・ブルース」、10秒に満たない最高楽曲「スブタ」、くだらなすぎる「シュウマイ」、世間へのぼやきをつらつら並べる「ニワトリ」、何気にニューオーリンズ調リズムが心地よい「釣り」、「寿司屋」のアルバムバージョン(最後の歌詞が違う!)など、全24曲を収録。

至る所におちゃらけやくだらないダジャレ、風刺、パロディー、ノスタルジーまでもが織り込まれており、言葉の軽やかな繰り方と併せて、その歌世界に感動したのを覚えている。2009年に初CD化。現在はサブスクでも聴けてしまう幸福よ。

そうした1979年のプチブレイク後、マニア路線から大きくポピュラー路線に踏み出したアルバムが1980年発表の次作『みんな不良少年だった』である。 憶測だがこのタイトルは、1977年高平哲郎著『みんな不良少年だった』から取られたものだと思われる。所ジョージは70年代に赤塚不二夫が中心となりブレイク前のタモリや坂田明、内藤陳、研ナオコ、THE ALFEEといった著名人が集った伝説のバカ騒ぎ会合「面白グループ」のメンバーだった。高平哲郎氏はその創設メンバーともいえる編集者にして放送作家で、『Revenge Of Hong Kong ホング・コングの逆襲』に作詞家としても参加している。

たぶんこの作品が現在の所ジョージの礎ではないだろうか。ふざけ方も斜に構え方もエンターテインメント直前ギリギリの躍動感がある。

所ジョージは言う。

「小説家や詩人をクリエイティブな仲間だとは思わない。生活している以上は詩やドラマチックなものは誰だって書けるし、くだらない人生を送っている人だって、そのくだらない人生を書けば小説になるでしょ」

なかなか名言である。所ジョージ、やっぱり根っこはパンクだと思う。

カタリベ: 親王塚 リカ

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