風雪襲う

 「雪」という字の「ヨ」の部分は何だろう。ススキの穂で作ったほうきのことで、雪はほうきのように「万物を掃き清める」と、手元の辞書にある▲作家の幸田露伴は「手」と言い切った。〈雨は手でうけることはできぬが、手でうけることのできるのが雪だ〉。随筆家の小林勇が「蝸牛庵(かぎゅうあん)訪問記」(講談社文芸文庫)に、晩年の露伴の言葉を書き留めている▲舞い降りる雪を受け止める、その清らかな感覚が手のひらに残っていたのだろう。ひと冬に一度、二度しか雪を見ない私たちには、うなずける話かもしれない▲露伴先生のその説も、おとといからの大雪にはまるで通じなかった。横殴りの風と雪を手で受けられるはずもない。「風雪(ふうせつ)」の一語が苦難も表すことを身をもって知る▲雪や路面の凍結で、諫早市では車200台が立ち往生した。交通は乱れ、水道管の破裂も…と、多くの人が「風雪」を痛感したに違いない。当方も車で帰宅途中の上り坂で身動きが取れなくなり、怖さに震えた▲途方に暮れる身に、道路の脇でカフェを営む人が「車、店の駐車場に…」と勧めてくださった。近くに住む小学生と中学生くらいの姉妹が、使い捨てカイロをわざわざ手渡しに来てくれた。雪を手で受けられなくても、清らかで温かい感覚ならば、手に、心に今もある。(徹)


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