【幕末維新 山口れきし散歩】 No.36 「伊藤生民墓」

▲冬深し(山口市大内矢田南)

 小雪舞う墓所の南には面貌山(めんぼうやま)。「顔山(がんざん)大心祐隆居士」と刻まれた生民(せいみん)の墓石。そこに見える「顔山」の二文字は、あの山に由来するもので、生前に彼が愛した号である。

 生民は、1832(天保3)年、吉敷郡矢田村(現・山口市大内矢田北)で代々医を生業とする伊藤家に生まれた。安政年間に名医・青木周弼の門に入り、万延年間には長崎に遊学し西洋医術を修めた。1861(文久元)年、郷里に戻ると医院を開業、多くの患者が訪れた。

 戊辰戦争の際は、診療医として各地に転じたが、帰郷後は医業のかたわら塾を開き、子弟教育に努めた。旧宅には門人たちによって建てられた頌徳碑が残されている。

防長史談会山口支部長 松前了嗣

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