【読書亡羊】「情報戦」の最前線、中露は何を仕掛けてくるのか 小泉悠・桒原響子・小宮山功一朗 『偽情報戦争――あなたの頭の中で起こる戦い』(ウェッジ) その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする週末書評!

「防衛省が世論工作」?

「防衛省が世論工作に乗り出す!」、そう言わんばかりの記事が、昨年末に配信された。共同通信の報道だったが、「情報戦」の解釈があまりにざっくりしているように思えた。

あたかも防衛省が国内向けのプロパガンダを用いて、国民に特定の考え方を植え付け、一方向に誘導する政策を検討しているかのような書きぶりだったからだ。

だが実際に検討されているのは、海外からのディスインフォメーション、つまり「意図的に日本の世論を混乱・特定方向へ導くため、嘘の情報を拡散して日本に害を与える」動きへの対処だったようで、年末に改訂された「国家安全保障戦略」文書にも〈偽情報等の拡散を含め、認知領域における情報戦への対応能力を強化する〉との文言が見える。

これは端から事実と異なる情報を発信して国民を騙すような「(国民向けの)情報工作」とは似て非なるものだ。

「情報戦」と一言で言っても、その中身は多岐にわたり、先のような取り違えを認識しないままでは、政策の検討すらままならない。

そうした土台として最適の一冊が、小泉悠・桒原響子・小宮山功一朗 『偽情報戦争――あなたの頭の中で起こる戦い』(ウェッジ)だ。

本書では第一章で、パブリック・ディプロマシー(外交広報・宣伝)研究を専門にしてきた桒原氏が〈外交・安全保障における世論形成手段〉について詳しく分類している。これぞ「待ってました!」な内容で、混乱しやすい「情報戦用語」を端的に分類している。

今後、情報戦にまつわる議論をする際には、まず本書の分類に基づいて「どの用語にあたる部分の話をしているのか」を確認してから話を進めるべきだろう。それによって、雑な議論やミスリードを防ぐことができるはずだ。

中露の「情報戦力」の実態

二章でも桒原氏が中国の情報戦を解説。中国はロシアと並んで「情報戦に長けている」イメージがあり、確かに本書でも「実際には存在しない架空の研究員」が書いたという設定の岸田首相批判記事が中国のニュースサイトに掲載されたという驚きの事例が紹介されている。

だが一方で、駐大阪領事館のツイッターがある時期から「戦狼」、つまり強気の外交姿勢や強烈な反米丸出しのツイートを繰り返したことで日本人フォロワーからの反感を買ったことも指摘されている。パンダや中国文化を紹介していた「やわらかツイート」を発信していた頃の方が読者の反応も良く、「愛される領事館」として受け入れられていたようなのだ。

確かにこれはその通りで、ロシアも同じ間違いを犯している。例えばロシア大使館の「反米煽り」や「ウクライナ侵攻開き直り」のツイートは、もはや「お前が言うな」というお笑いネタ扱いされる状況にある。もちろん、反米的、親露的な日本人には「効く」のだろうが、ロシアが思っているほど該当者は多くない。

先日もロシアのメドベージェフ前大統領が、日米首脳がそろってロシアの核使用の懸念を示したのを受け、「岸田は切腹でしか恥を洗い流せない」と発信した。

「核を落とされた日本が、核を落としたアメリカと並んでそんなことを言って、恥ずかしくないのか」という思いだったのだろうが、これが「効く」日本人はやはりそう多くはないだろう。日米の分断を図る情報戦の一つだったのかもしれないが、そうだとすれば失敗に終わったことになる。

自家中毒に陥るロシア

だからと言って油断は禁物だ。第三章ではロシアの軍事を専門とする小泉悠氏が、ロシアの情報戦の根底にある理論や世界観を解説。

「ハイブリッド戦」の端緒となった2014年の対ウクライナ、そしてトランプ大統領誕生に寄与した2016年の米大統領選への情報による干渉を成功例として紹介する。その目的は「一方向に世論を誘導する」ものではなく、「何が真実かは分からない状態を作り出す」ことであると指摘している。

ただし、一度流れ出せばコントロール不能になるのが情報の怖いところでもある。四章で小泉氏が解説しているが、ロシアは西側諸国の人々が政府に対して信頼感をなくすことを企図して反ワクチン情報を流布したという。

ところが当のロシアでもワクチン接種率が上がらない。ロシア発の反ワクチン情報が回り回ってロシア国内にも広がった可能性を小泉氏は指摘する。

確かに、同様の指摘がある。「政府を疑え」「ディープステートが国家を牛耳っている」と叫ぶアメリカのQアノンが真に受けているディスインフォメーションがロシア発であることが指摘されているが、当のロシアでもこうした価値観が広まり、ロシア版Qアノンが誕生。「プーチン、ロシア政府は信じられない」「ウクライナ侵攻は間違っている」と言い出す人たちが現れた、という(https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2022/04/tvq.php)。

小泉氏は情報を「速度や広がりを完全には統制できない、放たれた先で増殖する生物兵器」になぞらえているが、まさにロシアは自らが放ったウィルスに感染してしまったのかもしれない。

最後の砦は個人のリテラシー

さらに本書が面白いのは、情報戦の舞台(土台)になる「通信インフラそのもの」にも注目していることだ。

第五章で小宮山氏が、有事の際に物理的破壊だけではなく、世界のネットワークから切り離される危険性や、海外企業が運営母体であることも多いSNSがどのような「情報規制」を行うか分からない、という不確定要素など、情報ツールとしての問題点を指摘している。

そして、情報の流れを重視する中国発の「デジタル版一帯一路」が、有事の際に果たしてどのような機能を発揮するだろうか、との警鐘を鳴らしてもいる。

一個人が自由に全世界に自分の声を公開することができるようになった一方、特定の意図を持った集団が、全世界の一個人の認識や世界観(ナラティブ)を歪ませ、判断を誘導することができるようになってしまった現代。

政府の取組みも待たれる一方、本書でも指摘があるように、民主主義国家では政府が情報を規制することは難しい。情報統制を厭わない中露が優位になるのは当然という条件下で、日本はどう戦うべきか。

結局のところ、受け手として考えた場合には、個人個人の自己防衛が最後の砦となる。メディアリテラシーやファクトチェックの教育はもちろんだが、「相手が情報戦を仕掛ける際、どのあたりを突いてくるのか」という敵の動向を知ることも重要になりそうだ。

日本政府の発信力は壊滅的

情報戦は「日本が世界から後れを取っている」分野である。海外から流入してくるディスインフォメーションやフェイクニュースをどうするかという「受け」の問題もさることながら、日本から発信して海外世論に訴える発信力の弱さも、かねてから懸念されてきた。

例えばまもなく2月22日の竹島の日がやってくるが、竹島の領有権について、日本の宣伝はどの程度行われ、効果を生んでいるだろうか。

島根県の竹島問題研究室所長の下條正男氏は、これまでの日本政府の姿勢に「海外宣伝以前に、国内の啓発すら不十分」と厳しい評価を下している(『竹島VS独島』ワニプラス)。

しかし急にねじを巻いて「海外世論にも影響を及ぼさねば」とやり出しても、そううまくはいかないだろう。「私たちはこんなに正しいのです!」と叫んでも、誰も振り向かないどころかかえって日本に対する信頼を低下させかねない。

ロシアや中国の宣伝が、実に独りよがりに聞こえることは多々あるが、これを反面教師にすべきだろう。そのためにも、本書は大いに役立つ。

梶原麻衣子 | Hanadaプラス

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