THE PRISONER『DIVE TO BRAVE NEW WORLD TOUR FINAL』、2月5日(日)新宿LOFTにて開催! 景山潤一郎(vo)によるLOFTとLIVEに臨む熱い気持ちを込めたテキスト到着!

THE PRISONERのワンマンライブ『DIVE TO BRAVE NEW WORLD TOUR FINAL』が来たる2月5日(日)、新宿LOFTにて開催される。 開催を目前に控え、ボーカルの景山潤一郎によるLOFTとLIVEに臨む熱い気持ちを込めたテキストを紹介しよう。

俺達の世代でバンドを志した人間であれば誰もが新宿ロフトを目指した。

Text:景山潤一郎(THE PRISONER)

俺達の世代でバンドを志した人間であれば誰もが耳にしたことがあるであろうライブハウス新宿ロフト。中学生になりバンドにのめり込んでいった私が初めて抱いた夢は「新宿ロフトでライブをする事」でした。私が目指した場所は東京ドームでも日本武道館でもなく新宿ロフトだったのです。ガキの頃に拗らせたまま、そのまま、熱量は下がることなく今の齢を生きております。何回新宿ロフトでライブを重ねようが今回のツアーファイナルを新宿ロフトで迎えられることは私にとって夢にまで見た瞬間、正に本当の瞬間なのです。THE PRISONER以前に所属していたバンド、THE AVOIDEDはライブハウス西荻窪ワッツを拠点に活動していましたので新宿ロフトでライブは殆どやったことがなく(敷居が高かったし呼ばれもしませんでした)THE PRISONERで活動してから一気に新宿ロフトと縁が深まったと感じております。 こんな機会でもなければTHE PRISONER結成当時なんて思い出すこともないでしょうから、折角なので結成当時を振り返ってみながら今に繋がる話が出来たらいいなと思っています。2023年の今から結成当時を振り返った率直な感想としましては「よくここまで続いたね」です。THE PRISONERは直ぐに終わると自分では思っていました。続けたことに後悔は全くないです。むしろこのバンドで活動出来て良かったと思っています。なんだか解散を匂わせているような文章になっていますね。確かに状況や心境は日替わりですから明日、解散するかもしれませんし、メンバー脱退があるかもしれません。こんな時代、そしてこの年齢になると明日、何があってもおかしくありませんからね。なるべく覚悟を喉元に差し込んだ状態で今この瞬間に向かい合っていきたいと常日頃から考えております。 THE PRISONER結成当時の私はデザインも出来なければ文章も書けない、独りよがりの歌と勢いに身を任せた28歳。「微妙な年齢」と「微妙な立ち位置」が勢いに拍車をかけていたように思います。28歳と発して今では「若いねえ」という感想になりますが、2004年頃に28歳だった私は自分自身を若いと感じる事はありませんでした。立派なアラサーですからね。「微妙な年齢」と表現した理由は30代に差し掛かるぐらいの時期に「俺、実家に帰ろうと思うんだ」「俺、仕事に専念しようと思うんだ」とバンドに生きてきた方々が人生の分岐点を迎える時期だったからです。続けたくても続けられない事情、各々折り合いをつけた時期だったように思います。バンドを続けているからって何も偉い訳でもなく、バンドを辞めたからって「情けない」とか思うわけもなく。戦うステージが変わったからといって生きる世界や時代が変わる訳じゃありませんからね。この道、ロックンロールには留年も退学も、解雇も離脱もないですから。 21歳ぐらいからTHE AVOIDEDというバンドのボーカルを務めていました。簡単に言えば1990年代のパンク・シーンを牽引したメンバー達が組んだバンドにボーカルとして参加させていただいた形でした。このメンバー達との6年間は、その後の自分の「価値観」や「方法論」、そして「人格形成」に大きな影響を与えてくれました。ただでさえ「変わり者」扱いを受けていた私に「偏屈」と「深堀」というアビリティーを授けてくださったのはTHE AVOIDEDのメンバー達だと断言できます。そんなメンバー達とも決裂するタイミングはやって来るもので何度目かの原点回帰で足並みが崩れたと記憶しております。 THE AVOIDEDは2004年にTHE PRISONERに変名しました。メンバーはTHE AVOIDEDにNANA GNAR GNARが加入した形。モータウンやスタックスのソウル・ミュージックにアプローチしていました。大幅なメンバーチェンジ後、HG FACT佐藤氏の協力を得てファースト・アルバムをリリースする頃にはヴィジョンというかバンドの青写真はクリアに、これ以上無いほど明確にイメージの中で出来上がっていました。正真正銘の労働者達によるレベル・ミュージックを演奏する集団。クラブ文化であるノーザン・ソウルをソング・ライティングでオマージュする表現方法。もっと簡潔に言えばスキンヘッド・ソウルの確立を目指した時期でもありました。VIVID SOUNDへ移籍~在籍中はそんな事ばかりを考えていました。 メンバーとリリース、ツアーを重ねるにつれて私の中に変化が生じ始めたのはDIWPHALANXに移籍が決まる頃、自分にとって深く関係がある様々な事柄がシンクロニシティした時期でもありました。環境の変化は創造の変化に直結し、考え方の変化にまで影響を及ぼしてくれました。自分でも嫌になるほど強烈にこびり付いたプライドや性悪な自尊心はいとも簡単に溶けていきました。必然的な原点回帰現象はパンクへの帰還と共に現在でもライブで演奏している「STAY FREE」や「LETTER」を生み出すにまで至り、現在もその未来を走り続けている感覚があります。 東日本大震災、新型コロナウイルスの台頭等、時代は情け容赦なく私達の人生を翻弄してきましたが表現を止めることなくここまで走り続けて来れたのは携わる皆様、応援してくださる皆様の御蔭だと深く感謝している今日この頃でございます。今回のツアー“DIVE TO BRAVE NEW WORLD 2022”のファイナルを2月5日(日)新宿ロフトにて開催させていただきます。是非とも遊びに来ていただけたらと思い、拙い文章ですが書かせていただきました。お付き合いくださりありがとうございます。 ツアーファイナル当日に配布するシングルのレコーディング、マスタリングを終えた今、皆様に全力のライブとこの音源を渡せる事に喜びを感じております。28年前、北新宿を根城にすると決めて上京してきた私が、あの成子坂を転がり始めた私が、砂を噛み続け、作ってはブチ壊し、手にしては失い、それでも歩き続けてきた私が最高のメンバーと出会い、最高のレコ発を迎えようとしています。転がり続ける私達を是非見届けに来てください。

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