対馬仏像裁判 2月1日判決 「早く返還を」観音寺関係者 日韓政府の対応にも注目

盗まれた仏像が置かれていた仏壇を指し示し「地域の心の支えだった」と話す村瀬さん=対馬市豊玉町、観音寺

 長崎県対馬市の観音寺から盗まれ韓国に持ち込まれた仏像を巡り、所有権を主張する韓国中部瑞山の浮石寺が、仏像を保管している韓国政府に引き渡しを求めた訴訟の控訴審判決が2月1日、大田高裁で言い渡される。韓国の窃盗団摘発と仏像回収から10年。一審は浮石寺側の主張を認めたが、観音寺の関係者は一刻も早い返還を待ち望んでいる。
 「数百年前からずっと地域の心の支えだった。事件後は『ご本尊さんが盗まれた』と涙する人もいた」。昨年10月下旬、対馬市豊玉町小綱地区の観音寺。総代長の村瀬辰馬さん(68)はかつて仏像が置かれていた仏壇を見やり、嘆いた。
 2012年10月、県指定有形文化財「観世音菩薩坐像(かんぜおんぼさつざぞう)」が盗まれ、翌13年1月に韓国当局が窃盗団を摘発し、回収した。観音寺の田中節孝前住職(76)は「すんなり返ってくるだろうと思っていた」と振り返る。
 だが、浮石寺側は「仏像は14世紀に同寺で作られ、倭寇(わこう)に略奪された」と主張し、日本への返還に反対。一審大田地裁は17年1月の判決で、仏像は「正常でない過程で観音寺に収蔵された」とし、「浮石寺の所有と十分に推定できる」と引き渡しを命じた。
 韓国政府は控訴。浮石寺側はその後、仏像の腐食を防ぐため「金彩(きんだみ)」を施す意向を示すなど訴訟は紆余(うよ)曲折を経た。田中前住職は「問題の本質はただの窃盗事件なのに、無駄な時間ばかりだった」と憤る。
 昨年6月には観音寺側が韓国政府側の補助参加人として控訴審に初出廷した。田中前住職の息子、田中節竜住職(47)は仏像が1500年代に朝鮮半島から合法的に伝わったと説明。「仏像を公然と所有してきた」などとして、法廷で早期返還を訴えた。
 仏像問題は日韓双方の国民感情の悪化を招いてきたとの見方もある。昨年5月に就任した韓国の尹錫悦大統領は対日関係改善を急ぐ構えで、元徴用工訴訟問題の解決に動いている。仏像問題に対する今後の両国政府の対応も注目される。
 外務省北東アジア第一課は「早期返還を求める立場は変わらない。今後も、観音寺や市関係者とは連絡を取っていきたい」とする。
 一方、田中前住職は「政治や国民感情が絡むような話ではない」と強調。「返還を待ちわび、『戻るまで死ねない』と話していた小綱の人たちは一人、また一人と死んでいき、無念だったろう。一刻も早く返してほしい」と静かに言った。


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