クリーブランドの名物ファン アダムスさんが闘病の末に71歳で死去

クリーブランドの球場で約50年間、太鼓を叩き続け、「名物ファン」として有名だったジョン・アダムスさんが闘病生活の末、71歳で亡くなった。この2年間、様々な健康問題に悩まされていたアダムスさんは、どんなに困難な状況に置かれても自信をもって「またプログレッシブ・フィールドに戻ってくるよ」と言い続けていたが、その願いを叶えることはできなかった。ガーディアンズの広報担当上級副社長のボブ・ディビアシオは「我々はジョンの死を悲しんでいます。彼は永遠に我々のチームに一員であり続けるでしょう」とアダムスさんの死を悼んだ。

アダムスさんは約50年間、球場の最上段で巨大なバスドラムを叩き続けた。50年近く続いたこの伝統がスタートしたのは1973年8月のこと。走者が得点圏にいるチャンスの場面や、ビハインドの展開で逆転が必要なときなど、アダムスさんはガレージセールで25ドルで購入したバスドラムを叩き、球場を盛り上げて愛するクリーブランドの球団を鼓舞した。球場の最上段を選んだのは、大きな音で誰にも迷惑をかけたくなかったから。そこは48年間、彼の居場所となった。

アダムスさんはクリーブランドの球場の象徴のような存在だった。球場を訪れるファンたちは、この「名物ファン」を一目見るために球場の最上段を訪れ、一緒に写真を撮ってもらったり、太鼓を叩かせてもらったりした人も少なくない。アダムスさんは決して「ノー」とは言わない。球場を訪れるファン全員が彼にとって家族であり、いろんなファンとの交流を楽しんでいた。

48年間(3500試合以上)でアダムスさんが球場を訪れなかったのは、わずか45試合だけだという。その間、3度のオールスター・ゲーム、11度のポストシーズン・シリーズ、3度のワールドシリーズが開催され、1981年のレン・バーカーの完全試合も当然のように現地観戦していた。

ガーディアンズはアダムスさんの忠誠心や熱意を称え、球場のヘリテージ・パークに永遠に置かれる実物大のドラムの銅像を贈呈。さらに、アダムスさんは特別メンバーとして球団殿堂入りを果たすことになった。「このようなことが起こるなんて信じられない」と生前に話していたアダムスさんだが、太鼓の音が聞こえなくとも、その忠誠心と熱意はこれからもクリーブランドの球場に残り続けるはずだ。

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