建築物としての「倉敷市立美術館」 ~ 世界の丹下健三氏が建築設計を行なった旧倉敷市役所庁舎。込められた構想を紐解く(倉敷建築紀行 Vol.6)

広島平和記念資料館・平和記念公園・代々木体育館・東京都庁などの建築設計を手がけ、日本では「世界のタンゲ」とよばれた、丹下健三(たんげ けんぞう)さんが建築設計を行なった建物が倉敷にあることを知っていますか。

それは「倉敷市立美術館」。

倉敷市立美術館は1983年に開館し、40年ほど経ちました。筆者は歴史ある倉敷市立美術館を「美術館らしくない建物」と思っていましたが、それもそのはず「元々は市役所(旧倉敷市役所庁舎)」だったのです

今風にいえば「美術館にリノベーションされた建物」となり、格調高い講堂(元々は議場)、開放的なエントランス(元々は市民ホール)など、基本的な構造は市庁舎時代から変わっていません

そして、市庁舎としての倉敷市立美術館には、さまざまな想い・将来構想が込められており、それは今も残ったままです。

この記事では、建築物としての「倉敷市立美術館(旧倉敷市役所庁舎)」に着目して考察します。

屋上など倉敷市立美術館内の一部は通常、立ち入り・撮影禁止です。今回は特別に許可をいただいています。

倉敷市立美術館(旧倉敷市役所庁舎)とは

倉敷市立美術館(旧倉敷市役所庁舎)は、1960年(昭和35年)6月11日に倉敷市役所庁舎として竣工しました。

設計者は、当時すでに日本の建築業界ではトップクラスの知名度と実績を持っていた、建築家・丹下健三さんです。

丹下健三 氏(写真提供:倉敷市立美術館)

丹下健三さんは設計にあたり、以下のように語ったそうです。

倉敷市の伝統と近代的発展にふさわしい、しかも市民のよりどころになるにふさわしい建物をと思って設計した

その後、倉敷・児島・玉島の三市合併により手狭になり、1980年(昭和55年)6月に新庁舎(現:倉敷市役所 本庁舎)が完成すると移転します。

結果として、市庁舎としての利用は「20年間」という短命に終わりますが、新庁舎への移転前から跡地利用の検討が開始され、1980年には教育委員会が「旧庁舎は美術館が最適」との方針を打ち出しました。

そして、1983年(昭和58年)に改造工事が完了し、倉敷市立美術館として開館しました。

同時開館した倉敷市立中央図書館、倉敷市立自然史博物館とともに、文化施設ゾーンを形成し現在にいたります。

沿革を以下にまとめます。

当初は建物の北側に「市民広場」、向かい側に「公会堂」を建設予定だった

倉敷市立美術館の特徴は、なんといっても「コンクリートの打ち放し」のように見える迫力のある外観だと思います。

江戸時代からの伝統的な木造建築を残しつつ、西洋や近代の建築物と調和した町並みの美観地区から、徒歩数分のところにある建物とは思えないほどの近代的な建物。

実は、建設当初は本当に「コンクリートのまま」だったそうです。

しかし、風雨にさらされることで痛みが早く進むため、その後塗装がほどこされています

コンクリート外壁の塗装

近くからよくみると、「塗られている」のがわかります。

ここまでして、少し威圧的とすら感じる建築物になったのは、当初の計画を紐解くと理解できるかもしれません。

倉敷市役所庁舎としての建設計画当初、以下が設けられる予定でした。

  • 建物の北側に「市民広場」
  • 建物に向かい合う形で「公会堂」
市庁舎・市民広場・公会堂 平面図(写真提供:株式会社 丹下都市建築設計)
市庁舎・市民広場・公会堂断面図 (写真提供:株式会社 丹下都市建築設計)
公会堂断面図 写真提供:株式会社 丹下都市建築設計)

結果としてそれは実現しませんでしたが、倉敷市立美術館2階には「北側に向いた演台」のような造形があります。

美術館2階

倉敷市長が市民に向けて、演説を行うようなシーンを意識したものだったのかもしれません。

2階からの景色。この正面に公会堂が建設予定だった

市庁舎時代の面影を残すエントランスホールと講堂

エントランスホール

迫力があり、格調高い雰囲気は内部も同様です。

なかに入ると、開放的なエントランスホールが私たちを出迎えてくれます。

ここは高さ10メートルを超える吹き抜けとなっており、それを支える大きな梁(はり)とともに開放感があると同時に、迫力を与える空間です。

元々市民ホールとして設計されており、開放的ですが、市民の交流スペースというより、シビックプライドのようなものも感じられます。

現在の倉敷市役所 本庁舎(設計:浦辺鎮太郎)にも市民ホールがあり、限られたときしか利用しない、厳格に市民精神を感じさせる儀式的な空間と位置付けられています

そのベースは倉敷市立美術館の市民ホールにもあるのかもしれません。

現在の倉敷市役所 本庁舎(設計:浦辺鎮太郎)にある「市民ホール」

また、丹下健三さんが内部でもっとも力を入れたといわれているのが「議場(現在の講堂)」です。

ロンシャン礼拝堂の内部を模したといわれる議場は、現在は講堂として一般開放され、講演会などで利用されています。

講堂内部

モルタルを吹きつけたような湾曲した内壁、そり上がった天井が特徴的で、座席などは講堂へ改修されたときに設置されていますが、室内の雰囲気は当時のままです。

倉敷市出身の建築家 浦辺鎮太郎さんも関わっていた

ちなみに、1950年代においてもすでに国内外に知られていた建築家である丹下健三さんが、なぜ倉敷市庁舎の建築設計を行なったのでしょうか。

ここには、倉敷絹織(現・クラレ)で営繕技師(えいぜんぎし)をつとめていた、浦辺鎮太郎さんが関わっています

後に、倉敷国際ホテルの設計・倉敷アイビースクエアの改修など、倉敷の近代建築を数多く手がけますが、当時の倉敷市長が中学校以来の級友で「どうしたらよいか」と相談をうけたそうです。

そこで、「丹下先生に頼もう」と丹下健三さんを推薦したそうですが、推薦理由は「予算が少なかったから」

低予算にも関わらず、当時すでに有名な建築家である丹下健三さんをおすすめするというのは、矛盾した感じもします。

エントランス内の階段

しかし、丹下建築ならうちがやったという大きな宣伝効果があり、施工費用で損得をいわないため、結果として安くつくという判断があったようです。

そして、大原總一郎(おおはら そういちろう)さんとともに市庁舎建築のお願いにいき、その場で大原總一郎さんは、

今度の市庁舎は決して町家の方を向く必要はありません。町家が市庁舎に向くようにしてください

と話したそうです。

その後、浦辺鎮太郎さんは市立美術館への改修を手がけます。

  • 美術館に必要不可欠な、作品搬入用のエレベーターを備えたサービス棟を西側に増設
  • 1階に児童図書室を取り込み、北西部分を新築された市立図書館と連結させた

大きな変更はこの2点のみで、可能な限り丹下建築の特徴を残しながら、美術館としての機能を持たせました。

浦辺鎮太郎は以下のような言葉を残しており、旧市庁舎に思い入れがあるのはもちろん、自らがキッカケ作りをした丹下健三さんに敬意を持っていたことを感じます。

旧市庁舎は丹下作品のなかでもきわめて特徴あるもの。その特徴を最大限生かす。それだけを考えた

倉敷市立美術館(旧倉敷市役所庁舎)の外観・内部をチェック

それでは、建物に着目して倉敷市立美術館を見てみましょう。

外観

市立美術館外観
コンクリート外壁
現在の入り口
現在は喫茶店などがある裏口だが、市庁舎時代は正面玄関だった
迫力のある玄関庇(ひさし)
1階外壁

エントランスホール(旧:市民ホール)

エントランスホール
市立美術館の受付
床は長年の利用で磨き上げられている
エントランス内の階段
迫力のある梁
2階のバルコニー
第2展示室入場口
内部のコンクリートには木枠の跡が残っている

2階から北側を望む

美術館2階
中央図書館との接続部分

講堂(旧:議場)

講堂のステージ
講堂内部
天井と客席
ステージ上部で湾曲している
格調高い照明

3階屋上のステージ(現在は立ち入り・利用不可)

屋上にはステージが用意されている
市立美術館の特徴といえる屋根はこの形
屋上
スロープと呼ぶには急な勾配
ステージに該当する場所
裏面
客席側
かつてはここを歩くことができたそう
美観地区を望む

おわりに

市立美術館・中央図書館・自然史博物館の文化施設ゾーン

筆者は1979年(昭和54年)生まれです。

倉敷市立美術館が現在の形になったのが1983年(昭和58年)なので、市庁舎時代は記憶に無く、「今の形(倉敷市立中央図書館、倉敷市立自然史博物館を含む、文化施設ゾーン)」しか知りません。

昔は図書館などによく行ったものですが、「美観地区という観光地のすぐ近くに、市の文化施設が固まっているのはなぜだろう」と思っていました。

倉敷は車社会で、週末の渋滞は常態化しており、それは当時も今も大きく変わらなかっただろうと思います。

しかし、旧倉敷市役所庁舎ができた当時の構想を紐解くと、現在の倉敷市市立美術館を中心としたエリアは「市民に開放した場」と位置付けられていたことがわかりました。

令和3年4月に公表された「倉敷市庁舎等再編基本構想」によると、近い将来現在の文化施設ゾーンは再編されます。

  • 市立美術館は長寿命化
  • 自然史博物館は、ライフパーク倉敷の敷地内へ移転して、建替え
  • 中央図書館は、本庁舎周辺に新築される「複合施設棟」へ移転

このため、跡地活用の議論も今後活発化すると思いますが、市立美術館が残る以上は、「市民のために解放した場」であり続けてほしいなと思います。

取材協力

  • 記事監修:株式会社浦辺設計
  • 撮影:佐々木敏行

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