〝魔が差した〟瞬間…まじめな駅員はなぜ落とし物を着服したのか? 年収1千万円超の時代も…転落した人生、後悔と現在

記者に宛てられた手紙

 小さな刑事事件の容疑者にも過去があり、その先の人生がある。昨年2月、駅構内に落ちていたスマートフォンや財布、それらに入っていた現金や交通系ICカードを着服したとして、当時57歳の元駅員の男性が業務上横領容疑で逮捕された。気になった私は、その後起訴された男性の裁判を傍聴し、面会や手紙のやりとりを重ねた。真面目な駅員だったはずの男性に訪れた“魔が差した”瞬間、事件に至るまでの経緯、後悔の思いとこれからどうやって生きていくつもりなのか、考えを聞いた。(共同通信=力丸将之)
 ▽傍聴席で覚えた違和感
 30歳の私は現在、神戸地裁で開かれている刑事裁判や、民事裁判を中心に担当している司法記者だ。平日の日中は法廷にいることが多い。
 昨年6月9日午後、小法廷で開かれた業務上横領罪の公判に男性はいた。白髪まじりの頭にメガネ、高身長で、上下灰色のスエットにサンダル姿。拘束具を解かれて被告人席に座る男性の姿勢は正しく、背筋は伸びていた。
 抱いた第一印象は「何らかの犯罪をした人には見えないな」というものだった。裁判記録などを調べると、次のようなことがわかった。
 鉄道の運営会社の契約社員だった男性は、当時勤務していた神戸市内の駅で2018年9月、拾得物のスマートフォンや交通系ICカードなどを届け出ずに着服したとして2022年2月に兵庫県警に逮捕された。その後の捜査で余罪も判明し、業務上横領罪で起訴された。

神戸地裁

 ▽会社役員からギリギリの生活に
 男性の弁護人とのやりとりを経て、男性が当時勾留されていた警察署へ通い、途中、手紙でもやりとりした。そこから男性の半生が浮かんできた。
 男性は「今後の人生の戒めとして、記録として残しておきたい」という理由から取材に応じた。
 男性は大学を卒業後、20年近く営業職のサラリーマンだった。40代で役員になり、商談で日本中を飛び回り、年収は1千万円を超えていた。その後退社して独立し、個人事業主となった。家庭にも恵まれ、経営も順調だったが、左肩に野球ボール大の腫瘍ができ、神経を圧迫、腕がしびれるようになった。手術も必要となり、わずか2年でやむなく廃業した。
 男性は後に「このころから人生が狂い始めた」とふり返る。収入は途絶え、生活保護を受けながら治療した。再び就労できるまでに回復し、52歳で契約社員として就職したのが、後に事件を起こすことになる鉄道の運営会社だった。
 男性は駅員としては着実な働きぶりだったようだ。遺失物や金庫の管理を任されるまでになっていた。サラリーマン時代を思い出しては「もうひと花咲かせたい」との思いに駆られたが、気持ちに折り合いをつけまじめに働き続けたという。 
 だが、家に戻ると育ち盛りの男の子が2人おり、妻のパートの収入も合わせて月収は30万~40万円弱。「我慢すれば家族でなんとか生活していける」ギリギリの生活を強いられていた。それがさらに苦しくなる事態に見舞われた。
 妻の両親が2人とも治療や介護が必要となり、男性宅へ身を寄せることになった。義理の両親は年金未払いの期間が長く、年金の受給資格がないため介護費用がかさんだ。家計は一気に火の車となった。一家の大黒柱だった男性が経済的、精神的に追い詰められていく中、その日は訪れた。

取材に応じる元駅員の男性=2022年10月、神戸市

 ▽構内に落ちていたスマホを葛藤の末に…
 公判や手紙から犯行当時の状況を再現する。
 2018年9月の昼下がり、勤務中の男性は駅員室へ戻ろうとしていた。ふと、駅ホームから続く階段の踊り場に手帳型のケースに入ったスマホが落ちているのを見つけた。拾うと、中にはICカードが挟まっていた。
 駅務室に戻りながら、よからぬ考えが頭をよぎったという。当時、業務中の食事代にも事欠いていた。
 終業時間まで葛藤し続けた男性は、スマホを拾った場所が防犯カメラの死角だということに気付いた。この“気付き”が判断を誤らせ、一線を越えてしまった。スマホをそのまま自らのカバンに収め、持ち帰ったのだ。ICカードの残額は1188円で、コンビニの買い物や交通費に使った。
 男性は手紙に当時の心境を「罪悪感はあった。しかし、その時だけでもしのげた安心感があった」とつづった。
 2回目の犯行は半年以上たった19年5月の夜間勤務中で、ホームに落ちていた財布から現金約9万5千円を抜き取った。被害者への弁償のめどが立って不起訴処分となった1件を合わせ、計3回遺失物を着服した。

記者に宛てられた手紙

 ▽解雇、離婚、逮捕…
 着服行為は誰にも気付かれなかったが、その後、駅務室の金庫に保管されていた現金を着服したことがばれ、男性は20年春に懲戒解雇された。収入を絶たれた男性は妻と協議離婚。子どもは妻が引き取った。
 自宅マンションも管理者が変わったことなどから、退去を余儀なくされ、新型コロナウイルス禍を1泊1千~2千円程度のカプセルホテルやネットカフェを転々とする生活に。その後、再び生活保護を受けながらアパートで暮らすようになり、再就職先も決まった。心機一転、「75歳までがんばって働いてお金をためよう」とこの先の人生を前向きに捉えようとしていた矢先だった。
 2022年2月。自宅にいる男性のもとに突然、警察官が訪ねてきた。最初は何事か分からなかったが、逮捕状を読み上げられるうちに徐々に思い出していった。数年前の駅員時代に、拾得物を着服した罪だった。
 解雇されマンションを退去する際に家財道具の一時的な保管のために契約したレンタル倉庫が、その後、賃料が未納状態となったため強制的に解錠されたという。すると中から着服したスマホや、男性と異なる名義のICカードが出てきたのだ。不審に思った管理会社が警察に届けたことで、事件は発覚した。
 ▽裁判で語られた後悔と反省
 公判で証言台に立った男性は弁護人や検察官の質問に対し、事件の経緯や反省、後悔の思いを口にしている。抜粋する。
 なぜ着服した遺失物を捨てずに置いていたのですか?
 ―駅のゴミ箱では防犯カメラがあるので発覚の恐れがあり、家に帰ってから捨てればいいと思っていました。
 あなたは駅員時代に真面目に働き、乗客から感謝されたこともあったのではありませんか?
 ―気分の悪い人を介助したりして、お礼のメールをもらったことはあります。
 犯行に及んだとき乗客の顔が浮かばなかったのですか?
 ―浮かびませんでした。
 なぜ犯行を1回でとどめておこうとしなかったのですか。
 ―その時の状況で条件が重なった時、犯罪行為に移ってしまいました。
 反省していますか?
 ―(逮捕から)4カ月、なぜあの時立ち止まらなかったか、常に考えていました。義理の両親の介護費用がかかったことなど、私のせいじゃないと思い、(着服してもよいと思ってしまったのは)自分が苦しいのを他人のせいにしてきたからかもしれません。それがすべての原因だと思う。今後苦しくても同じことをくり返さないようにしたいです。
 この後、検察側は懲役1年を求刑し結審した。
 7月上旬に言い渡された判決は懲役1年、執行猶予3年。主文と判決理由の言い渡しを終えると、裁判官は最後に「二度とこのようなことはしないでください」と諭した。男性は静かにうなずいた。
 およそ130日ぶりに釈放された男性。逮捕時とは打って変わり、夏の熱い日差しが照りつける中、勾留中に滞納していたアパートの水道代や光熱費の支払い、生活保護の再申請のため足早に裁判所を去った。

 ▽「取り返しがつかない。もう先を考えるしか」
 その後、どう過ごしているのか。4カ月ぶりに神戸市内で再会し、現状を尋ねた。無事に生活保護の受給が決まり、就職活動をしているという。被害者への月々の弁済があり、手元に残るのは月3万円ほど。食費を切り詰めるが、生活は苦しい。健康への不安も抱える中、今の希望は就職して生命保険に入ることだ。
 何度か面接を受けたが、「犯罪歴はありますか?」と聞かれたことがあった。正直に執行猶予中であると伝えたところ、不採用になった。めげそうになるが「年金を受給できるまであと約3年。それまでの辛抱だ」と自らに言い聞かせ、就職活動を続けている。
 勾留中に男性と面会したのは記者の私を除けば、男性の実の兄だけだったようだ。いくらかの現金を差し入れたきりで、態度もつれないものだったという。兄が再び現れることもなかった。
 「取り返しがつかないことをした。もう先のことを考えるしかない」と記者に漏らす男性。将来を描くような余裕はなく、今はとにかく生活を安定させることだけを考えているという。新しい年を迎えた。男性のこの先の長く険しい道を想像しつつ、祈ることしか記者にはできない。

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