『トヨタ90C-V』“集大成”のはずだったC-Vシリーズの3作目【忘れがたき銘車たち】

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、グループCカーレースを戦った『トヨタ90C-V』です。

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 トヨタは1988年、いよいよグループC活動に本腰を入れる。そして、トヨタ88C-Vという1台のグループCカーを生み出した。

 88C-Vは、それまでトムスと童夢のタッグで生み出していた車両開発体制から一変し、トヨタが車体とグループC専用の純レーシングエンジンを開発して誕生したマシンだった。

 だが、88C-VはまだまだグループCカーとしての洗練度が低く、すぐさま次作であるトヨタ89C-Vの開発に取り掛かる。そして88C-Vに足りなかったものを得た89C-Vは、ル・マン24時間および全日本スポーツプロトタイプカー選手権(JSPC)において、ジャガー、ザウバー・メルセデス、ポルシェなど、海外勢にも負けない速さを見せる。

 しかし、燃費性能や信頼性が足りなかったことから、雨中のJSPCで1勝をマークするものの、その速さを結果に繋げることができなかった。

 こうした前作2台の反省を活かし、1990年に向けて新たに開発されたのがトヨタ90C-Vだ。90C-Vは88C-V、89C-Vを熟成させた正常進化版といえるマシンだったが、空力の改良によってスタイリングが大きく変貌。前後カウルの形状が変更され、特にフロントは89C-Vよりも厚みのあるダルなノーズになった。また、ホイールベースを50㎜延長したほか、カーボンモノコックも形状を変え、大幅に剛性をアップ。モノコックの単体重量も4kgの軽量化を果たした。

 さらに90C-Vで大きく進歩したのがエンジンだった。それまで3.2リッターV8ターボのR32Vを使用していたが、90C-Vには排気量を400cc向上した3.6リッターのR36Vを投入した。

 このR36Vは、排気量の向上の恩恵を受け。最高出力をR32Vと同等レベルの馬力を出しながらもブーストを下げることが実現。これによって燃費性能の向上と中低速のトルク増加を達成していた。

 こうして開発が進められた90C-Vは、オーストラリアでの耐久テストや北海道の士別にあるテストコースでの走行を重ね、JSPC開幕戦の富士500kmで実戦デビューを果たす。

 このデビューレースで、トムスの走らせる関谷正徳、小河等組のミノルタトヨタ90C-Vがいきなりポールポジションを獲得。決勝でもトップでチェッカーを受け、見事デビューレースをポール・トゥ・ウインで飾った。

 トヨタは89C-Vでも勝利しているが、このときは赤旗中断もあった雨天での1勝であった。C-Vシリーズにとって、ドライでの真っ向勝負で初めてニッサン、ポルシェを相手に勝利を挙げたのだった。

 実はこの1勝をマークしたJSPCの富士500kmでは、まだ3.2リッターのR32Vを搭載した状態だったのだが、次のレースとなった世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)開幕戦の鈴鹿サーキットラウンドで、前述のR36Vを投入する。

 しかし、このR36Vエンジンを投入以降、90C-Vは勝利の女神から見放されてしまう。ル・マン24時間レースでは完走を果たすも6位に終わる。そして、JSPC最終戦の全日本富士1000kmでは、90C-Vではなく、サードの走らせるデンソー トヨタ 89C-Vが1勝をマーク。このようにJSPCのほか、WSPCでも旧型の89C-Vと併用されるような状態だった。

 処女作88C-V、速さはあったが脆かった89C-Vの反省を踏まえ、この2台のいわば“集大成”として生み出された90C-Vだったが、ライバルの上がり幅も大きく、足りないものが多かった。そしてトヨタは、JSPC専用車として開発された91C-Vで、C-Vシリーズに大きなメスを入れることになるのだった。

1990年のWSPC開幕戦鈴鹿を戦ったデンソートヨタ90C-V。ローランド・ラッツェンバーガーとピエール-アンリ・ラファネルがドライブした。
1990年のJSPC第5戦SUGOを戦ったタカキュー トヨタ90C-V。ジェフ・リース、ピエール-アンリ・ラファネルがステアリングを握った。

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