「革命の聖地」に行きたがる韓国人、行きたがらない北朝鮮の若者

韓国と中国は1992年8月に国交を結んだ。その前の1980年代後半から、韓国人の中国訪問が認められるようになっていた。当初、人気を集めたのは朝鮮民族にとって聖なる山だが、韓国から行くことのできなかった白頭山だ。

飛行機運賃が高かった当時、仁川(インチョン)から大連や丹東までフェリーで移動し、そこから列車やバスで数百キロ離れた白頭山まで移動するという海路と陸路を組み合わせたコースが多用された。2010年代に入って白頭山ブームは一段落した感があるが、コロナ前までは多くの韓国人観光客が訪れていた。

白頭山を多く訪れるのは、北朝鮮の人々も同じだ。民族の聖なる山である上に、故金日成主席が抗日パルチザン活動を行い、故金正日総書記が誕生したとされる、二重の意味で聖地とされている。

これらの革命史跡を巡る「聖地巡礼」を踏査と言うが、「白頭の革命精神を学ぼう」と踏査参加を呼びかけても、若者の反応は鈍いという。咸鏡南道(ハムギョンナムド)のデイリーNK内部情報筋が伝えた。

朝鮮労働党咸興(ハムン)市委員会(市党)は、中央からの指示を受け、白頭山踏査を開催することにし、市内の若者に参加を呼びかけたが、反応が芳しくない。

昨年、各組織を通じて踏査参加を推薦されたと多くの若者に通知したが、その6割が家庭の事情、健康問題などの理由を挙げて参加を拒んだ。新年に入ってからは、そのような傾向がさらに強まり、参加予定人数を確保できなかった市党は冷や汗を流している。

市内の羅南(ラナム)区域の企業に勤める、青年同盟(社会主義愛国青年同盟)に所属するある若者は、白頭山踏査者のリストに自分の名前が出ているのを見て、わざと階段から落ちて病院の治療を受け、参加を避けたという。また、咸興医科大学のある学生は、幹部にワイロを渡して、参加者リストから名前を抜いてもらった。

思想的に問題がなく、成績や実績を認められたからこそ、リストに名前が上がったわけで、非常に名誉なことだが、なぜ若者は行きたがらないのか。

まず挙げられるのは「寒さ」だ。先日、東アジアに来襲した大寒波で、氷点下41度となったほど白頭山は寒い。1月中旬に参加した若者の間から凍傷になる人が続出したが、幹部は「若い時の苦労は買ってでもしろ」「鼻も足も凍ってこそ真人間になる」と踏査を継続している。

わざと怪我をしてまで参加を避けるほどなのだから、現場の苦しさは想像を絶するものがあるのだろう。なお朝鮮労働党中央委員会は、事故を防ぐために白頭山踏査のルートを、温かくなるまで一時的に変更する指示を下している。

(参加記事:氷点下41度の「陸の孤島」で地獄と化した金正恩の聖地巡礼)

若者が踏査を嫌うもう一つの理由は経済的な問題だ。

国の指示で行われる踏査であるが、その費用はすべて参加者の負担となる。別の情報筋の話によると、コート、ロシア帽、食費、宿泊費など50ドル(約6480円)もの費用が徴収される。また、凍傷にかかっても、その治療費用もすべて個人負担となる。

ゼロコロナ政策による鎖国状態で、深刻な経済難、食糧難に陥っている中、苦労を買う余裕すらないのだ。

「行きていくのも苦しいのに、平均気温が氷点下40度まで落ちる白頭山に、誰がカネを払って苦労をしに行くだろうか」(情報筋)

また、「白頭山に登ったからと思想教養(思想教育)になるのか」「極寒の中の踏査は拷問だ」と言ったリアクションが出ているという。

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