ASEANのミャンマー外し本格化

大塚智彦(フリージャーナリスト)

「大塚智彦の東南アジア万華鏡」

まとめ】
・ASEANの会議からミャンマー軍政代表を除外する動きが本格化.
・議長国が対ミャンマー強硬派のインドネシアであることが影響。
・インドネシアのジョコ大統領、近くミャンマーに軍の将軍クラスを派遣する方針。

東南アジア諸国連合(ASEAN)の会議からミャンマーの軍政代表を除外する動きが本格化している。2023年のASEAN議長国が対ミャンマーで強硬姿勢を貫くインドネシアであることも影響してインドネシアが主催するASEAN観光相会議、外相による調整理事会のいずれにも軍政代表は招待されず、ミャンマーを除外した形での会議が相次いで開催されているのだ。

2月3日からインドネシア・ジャワ島中部のジョグジャカルタで始まったASEAN観光フォーラム会議にミャンマー観光相の姿はなかった。さらに3日に首都ジャカルタで開かれた各国外相が参加するASEAN調整理事会(ACC)にもミャンマー代表は参加しなかった。

いずれの会議も軍政が任命した観光相や外相をASEANとしての招待を見送った。

ただASEANは妥協策としてミャンマーからの「非政治的人物」の派遣を要請したが軍政がこれを拒否したことで会議からのミャンマー除外となった。

こうした措置はインドネシア政府や対ミャンマーで強硬姿勢を続けるマレーシア、シンガポール、フィリピンなどの「政治的判断」に基づくもので、2021年2月のクーデターから2年を迎えたミャンマーの軍政に対するASEANの厳しい姿勢が示された形となった。

その一方でACCには2022年11月のASEAN首脳会議で正式メンバーとしての加盟に向けてオブザーバー参加が承認された東ティモールの外相が初参加してASEANデビューとなり、ミャンマーの会議欠席という事態に反して東ティモール初参加の歓迎ムードに包まれたという。

★ミャンマー巡りASEAN分断も

ASEANは2021年2月1日にミャンマーでミン・アウン・フライン国軍司令官率いる軍によるクーデターでアウン・サン・スー・チーさん率いる民主政府から政権を奪取して以来、武装市民や少数民族武装勢力による軍との戦闘で治安が悪化。民主化を求める運動家や学生、市民などを多数逮捕、拷問、虐殺して人権侵害を強めている。

こうしたミャンマーに対して地域連合としてASEANはクーデター直後から打開策を探って積極的に関わって来た。

クーデターから約2か月後にはジャカルタでASEAN緊急首脳会議を開催し、ミン・アウン・フライン国軍司令官も出席して「5項目の合意」という議長声明を全会一致で合意し、以後ASEANのミャンマー問題対処の基本となった。

しかしミャンマー軍政は「武力行使の即時停止」と「全ての関係者とASEAN特使の面会」の2項目を断固として拒否しており、ASEANの働きかけは行き詰っている。

ミャンマーの言い分は「武力行使は反軍政の武装市民などの攻撃に対応しているだけである」「スー・チーさんなど裁判の被告だった人物との面会は不可能」というもので一歩も譲る気配はない。

ミャンマーと基本的には同じ軍政のタイが2022年12月にミャンマー代表を招いてミャンマー融和派とされるカンボジアやラオス、ベトナムも参加して非公式外相会議を開催、インドネシアなどの強硬派は参加を見送った。

さらに1月にはミン・アウン・フライン国軍司令官とタイ陸軍のトップがミャンマー国内で会談するなどタイによる活動が活発化し、ASEANの分断危機が高まっている

★主導権奪回目指すインドネシア
対ミャンマーを巡る姿勢では融和派とされるタイ、カンボジア、ラオス、ベトナムと強硬派のマレーシア、インドネシア、シンガポール、フィリピンの間の違いは温度差などという生ぬるいものではもはやなく、分断の危機に直面しているといわれている。

そうした中でクーデター直後から積極的に関わりASEANを引っ張って来たインドネシアは2023年の議長国であるとの立場を最大限に生かしてミャンマー問題で主導的な立場を取り戻そうとしている。

それが観光相会議とACCからのミャンマー軍政代表の排除という方針に反映されているといえる。

ACCを開催したルトノ・マルスディ外相はジョコ・ウィドド大統領の意向を受けてASEANの活動を一任されているとされ、今後の手腕に期待が寄せられている。

そのジョコ・ウィドド大統領は2月2日、ロイター通信とのインタビューで近くミャンマーにインドネシア軍の将軍クラスを派遣する方針を明らかにした。

「ミン・アウン・フライン国軍司令官との会談は軍人同士の方が話しやすい面もあるだろう」として将軍クラスを派遣して軍人同士の対話からミャンマー問題解決の糸口を探ろうという方針で、これもインドネシアによる新たなアプローチとしてとらえられている。

念頭にはミン・アウン・フライン国軍司令官とタイ陸軍トップという軍と軍によるタイの動きを意識したうえでの対抗心があるとの見方もでている。

ジョコ・ウィドド大統領は1998年に民主化のうねりの中でスハルト長期独裁政権が崩壊して民主化を実現したインドネシアの「変革」の過程や経験をミャンマーに示して「軟着陸」を説得することを派遣する将軍に期待している。将軍の人選や派遣時期は現段階では明らかになっていない。

インタビューの中でジョコ・ウィドド大統領は将軍派遣などの試みで事態打開に進展が、見られない場合は「断固として行動する」との強い決意を表明しており、今後のインドネシアによるミャンマー問題へのさらなる積極的な試みへの期待が高まっている。

トップ写真:ャンマークーデターから2年、数千人がアウンサンスーチー氏の肖像画を掲げ、軍政に、バンコクのミャンマー大使館と国連ビル前で抗議するデモ隊。2023 年 2 月 1 日 タイ・バンコク

出典:Photo by Sirachai Arunrugstichai/Getty Images

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