「遠き道のり 帰るのを忘れないで」 現代インドネシア家族のあり方をロンドン舞台に描く 【インドネシア映画倶楽部】第49回

Jalan Yang Jauh Jangan Lupa Pulang

家族から遠く離れ、英国ロンドンにいる主人公。彼女の帰るべき場所は家族なのか、それとも別の場所なのか。現代インドネシアの家族のあり方、主人公の自立と自分らしく生きる模索が描かれている。前作に続き、ヒットの予感。

文と写真・横山裕一

2020年に大ヒットした「いつかこの物語をあなたに」(Nanti Kita Cerita Tentang Hari Ini)の続編。前作は主人公家族の3人兄妹のうち長兄と末妹に焦点があてられたが、今回は真ん中の長女アウロラが主人公で、留学先の英国・ロンドンを舞台に展開する。

ロンドンの芸術大学で学ぶアウロラはインドネシア人の芸術家ジェムと同棲していたが、ジェムのヒステリックが原因でアウロラは別れを告げ、親友であるハニーとキットを頼る。さらにアウロラの卒業課題であるオブジェをジェムに壊されてしまったため、留年が決定してしまう。

留年分は親に頼らず卒業することを決意し、アウロラは親友のアパートに間借りして働く傍ら、再度卒業課題に取り組み始める。親友のハニーとキットはアウロラの考えを優先し、親身に協力する一方で時に厳しいアドバイスをする。ハニーはインドネシア人女性でキットはタイ人とイギリス人のハーフの男性、二人とも辛い過去を持ちながらロンドンで力強く生きている。こうした環境にアウロラは安堵とともに自己を見出した思いがし、自分らしく生きていく居場所として感じ始める。そんな折、ジャカルタから兄のアンカサと妹のアワンが尋ねてくる。2ヶ月間音信が途絶えたアウロラを心配した両親、特に父親の意を汲んでのものだった……。

前作、アウロラは対人恐怖症で、自宅に引きこもりがちな女性だった。少女時代、水泳選手として親の過度な期待に応えられなかった心の傷がトラウマになっていたためだった。今作では少し大人になったアウロラが全てを失いながらも立ち直り、自らを見出し始める。しかし兄と妹の訪問で、再び家族、両親の世界に引き戻されようとするなか、彼女の心の葛藤が鮮明に描かれている。遥か遠いロンドンの地で、彼女の「帰る」べき場所は家族なのか、それとも別の場所にあるのか。これが映画タイトルに込められたテーマである。

開業間もないMRTなど最新のジャカルタの風景を織り交ぜながら、現代インドネシア家族のあり方の変化が示された前作だが、今作はさらに一歩進んで家族から隔絶されたロンドンで主人公の自立と自分らしく生きる模索が描かれている。家族の絆が重視されるインドネシアでも、現代社会では個人が優先され始めていることが現実的でもある一方で、家族を思うがゆえに従来の思考傾向になる面も的確に示されていて、現代インドネシアの家族形態の揺らぎが行きつ戻りつしている現状が的確に表されている。ロンドンを訪れたアンカサとアワンも前作では親の過保護に反発していたが、留学中のアウロラを心配するあまりに気がつくと親と同じ言動をしているシーンが象徴的でもある。

本作品では巧みなカメラワークも登場人物の心境をうまく表現している。特に前半のシーンでは手持ち撮影によるフレームの微妙なブレでアウロラの不安定な心情を効果的に表し、他シーンでの三脚を使った撮影や手持ち撮影でも水平安定器の使用による安定した映像との相違が明確になっている。

作品中、物語の進行が過去や現在へと頻繁に行き来するのも特徴だが、観る者を混乱させるまでには至らず、ヒットメーカーの一人でもあるアンガ・ディマス・サソンコ監督の安定した手腕も見所のひとつだ。さらに主人公アウロラ演じるシェイラ・ダラ・アイシャもさることながら、親友を演じた二人、ルテシャとジェロム・クルニアのさりげなくも人情深い演技が心地よい。

大ヒットした前作では文章のように長いタイトルを略した「NKCTHI」(NANTI KITA CERITA TENTANG HARI INI) という言葉が若者を中心に流行ったが、今回のタイトルも報道では既に「JJJLP」と表記されるなど人気現象を予感させている。公開2日間で既に12万人の観客動員を記録している。

現在、Netflixインドネシア版では前作が配信されているので、これを観てから劇場へ行くのもいいが、前作の内容を知らなくても十分に楽しめる内容だ。インドネシアの若者の共感を得る作品とはどんなものか? テーマは国を問わず普遍的なものでもあるので、是非劇場で楽しんでもらいたい。(英語も多用されるため、字幕はインドネシア語のみ)

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