半世紀以上の「記録」の営み 絶やしてはいけない… 長崎の証言の会・新代表委員の城臺さん

「長崎の証言の会」での20年以上にわたる活動を振り返り、「証言は宝物」と語る城臺代表委員=長崎市三川町

 被爆証言の記録に半世紀余り取り組む市民団体「長崎の証言の会」の代表委員の一人に先月、被爆者の城臺(じょうだい)美彌子さん(83)=長崎市三川町=が女性で初めて就いた。運営委員として、証言の聞き書きや被爆遺構の案内を続けて20年以上。反戦反核を願い「証言は宝物」と語る城臺さんに、歩みや会の展望を聞いた。

 同会は1969年発足。被爆者らの証言や論考を掲載した年刊誌の発行、城山小や山王神社など爆心地周辺の遺構を修学旅行生らに案内するフィールドワークを柱に据える。
 城臺さんは小学校教諭を退職後の98年に入会した。きっかけは、その年の初めに生後半年で亡くなった孫の存在だ。医師は否定したが、自身の被爆による影響を考えずにはいられなかった。「核兵器の恐ろしさを伝えたい」。その思いが原動力になった。
 同時期に、平和推進協会継承部会の語り部活動にも参加。当時としては珍しい紙芝居を使った講話を始めたが、ある先輩語り部に言われた。「あなたが何を知っているのか。知らないことは言うな」。幼少期の6歳で被爆した城臺さんが語ることへの懸念。城臺さんは、こうたんかを切った。「知らないから聞きたい。皆さんの話を聞き、次の人に伝える仕事はできる」
 自分の記憶で語れることが多くはないからこそ、他の被爆者の証言や資料を必死で学んだ。証言の会の活動で書き留めた証言は、仲間との共同取材も含め約20人に上る。フィールドワークで疑問が芽生えれば、当時を知る被爆者に聞き、情報を加えた。「私たちはガイドではなく証言者」。前事務局長の森口貢さん(昨年12月に86歳で死去)の言葉を胸に刻み、事実に裏付けられた語りを心がける。
 先月、被爆者の築城昭平さん(95)、長崎総合科学大名誉教授の大矢正人さん(76)と共に代表委員に就任。活動はこれまで通り続けるが、トップとして組織を見回すと重い課題も痛感した。証言してくれる被爆者の高齢化だけでなく、それを引き出す聞き手もまた高齢化などで足りなくなっている。「後継者を育てなければ」との思いを強くするが、解決策は模索中だ。
 少しでも活動を継ぎたいと思う人たちに、城臺さんは呼びかける。「まずは体験記を読んでほしい。そして追体験したことを、自分の言葉で語ってほしい」。証言の会が半世紀以上続けてきた「記録」の営み。「絶やしてはいけない。証言集が薄くなったら、また厚くなるまで続けないと。まだ語っていない人がいる」

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