ナメるなよ?「プロサッカー選手経験のない名監督」10名

「名選手、名監督ならず」とはよく聞かれるが、実際監督になるのはほとんどが元名選手であったりするのがスポーツ界だ。

ただ、もちろんその中でも全くプロ選手としてのキャリアを持っていないにもかかわらず、指導者として成功を収める者も…。

ジョゼ・モウリーニョ

指導したクラブ:ベンフィカ、ポルト、チェルシー、レアル・マドリー、インテルなど

2000年代に最も成功を収めた監督と言えるジョゼ・モウリーニョ。父親はポルトガル代表にも入ったことがあるサッカー選手であり、その足跡を辿ることを願っていたものの、プロになるためのアスリート能力を欠いていた。そのため若くしてコーチングを志し、リスボン工科大学でスポーツ科学を学ぶ。

そしてイギリスのサッカー協会が主催するコーチングコースを学び、1990年にヴィトーリア・セトゥバウのユースでコーチに就任。そして1992年に語学力を買われて通訳としての活動を始め、スボビー・ロブソン氏の下で働くとともに、プロの指導者としての技術を学んだとか。

そしてボビー・ロブソンとともにバルセロナへと移ってアシスタントコーチとなり、さらにルイス・ファン・ハールの下でも働き、自身のコーチングスタイルを確立していったという。

アンドレ・ヴィラス=ボアス

指導したクラブ:ポルト、チェルシー、トッテナム、マルセイユなど

そのジョゼ・モウリーニョの弟子筋にあたるのがアンドレ・ヴィラス=ボアス。もともと祖母がイギリス人だったために英語が胆嚢で、偶然同じアパートに住んでいたボビー・ロブソン氏にある選手の起用を求める手紙を送ったことがきっかけでコーチの道へ。

最初はFCポルトで分析を任され、スコットランドでUEFAのコーチングコースを学ぶ。10代のうちにAライセンスまで取得し、ジョゼ・モウリーニョのアシスタントコーチとしてFCポルト、チェルシー、インテルで指導を行った。

そして2009年に独立し、アカデミカ・コインブラでクラブチームの監督に。それからポルト、チェルシー、トッテナム、ゼニト、上海上港、マルセイユと指揮を執ってきた。

マウリツィオ・サッリ

指導したクラブ:エンポリ、ナポリ、チェルシー、ユヴェントスなど

イタリアで珍しいキャリアを持つ指導者と言えばマウリツィオ・サッリだ。プロサイクリストの父の下で生まれ、アマチュアのサッカー選手としてプレーしながら銀行員として働いていたという経歴を持っている。

そして30歳になったときにコーチングの道へと進み、1999年に仕事を辞めて40歳で監督に専念した。それから数多くの下部リーグのクラブで指揮を行い、2012年から率いたエンポリでセリエAに昇格したことで評価を高めた。

そしてそれからナポリ、チェルシー、ユヴェントスを指揮。現在はラツィオの監督として辣腕を振るっている。細部に拘る戦術的な視点と飽きさせないトレーニングで有名だ。

アルベルト・ザッケローニ

指導したクラブ:ミラン、ラツィオ、インテル、ユヴェントス、日本代表など

かつて日本代表の監督を務めたアルベルト・ザッケローニ氏も、選手としてはアマチュアとしてのキャリアしか持っていない指導者の一人である。サイドバックとしてプレーしたものの怪我に悩まされ、30歳で現役を引退した。

下部リーグのクラブで実績を積み重ね、1995年に就任したウディネーゼでの躍進で注目された。当時守備的戦術が流行っていたセリエAで攻撃的な3-4-3を使ったプレーは異彩を放ち、その後ミラン、インテル、ユヴェントス、ラツィオと当時のイタリアを代表する4クラブで指揮を執っている。

そして2010年には日本代表の監督に就任。本田圭佑や香川真司を中心としたポゼッション志向のサッカーをし、アジアカップ2011を制覇。ワールドカップ2014では結果を残せなかったものの、期待感あるチームを作った。

アリゴ・サッキ

指導したクラブ:パルマ、ミラン、イタリア代表など

「ゾーンプレス」の概念を作り上げたイタリアの歴史上最高クラスの名将アリゴ・サッキ。サッリ氏も心の師と仰ぐ彼も、実はプロ選手としてのキャリアを持っていない。

靴のセールスマンとして働きながらコーチングを学び、フィオレンティーナのユースでの指導が注目されて当時3部のパルマで監督に就任。下部リーグのクラブでありながらカップ戦で上位に入るなど結果を残し、その後ミランとイタリア代表を指揮している。

世界の名監督の一人であるが、彼自身は「とにかく自分より年上の選手の扱いに苦労した」と話す。一方、メディアに経験の無さを指摘されたときには「良い騎手になるために、良い馬であった必要があるなんて知らなかったよ」とユーモア溢れる回答をしている。

ユリアン・ナーゲルスマン

指導したクラブ:ホッフェンハイム、RBライプツィヒ、バイエルン

現在バイエルン・ミュンヘンを率いているドイツ屈指の指揮官ユリアン・ナーゲルスマン。もともとアウクスブルクと1860ミュンヘンのユースでプレーし、Bチームにまで上がったものの、怪我のために全くプレーできずに20歳で引退した。

そしてトーマス・トゥヘルの下でスカウトを務め、大学で経営学とスポーツ科学を修めたあと、古巣1860ミュンヘンのU-17チームでアシスタントコーチに就任した。

そして2010年にホッフェンハイムのユースで仕事を得て、その指導からティム・ヴィーゼに「ミニ・モウリーニョ」と呼ばれるほどに。そして2015年にトップチームの監督となり、そこから急速にキャリアを進めていった。

フアン・マヌエル・リージョ

指導したクラブ:レアル・ソシエダ、ヴィッセル神戸など

ジョゼップ・グアルディオラ監督が師匠と仰ぐ、プロが憧れるプロ監督フアンマ・リージョ。指導者を志したのは15歳という生粋のコーチで、16歳から仕事を始めている。

1990年代初頭にはのちに世界を席巻する4-2-3-1システムを考案し、歴史上最年少でスペインの最高コーチングライセンスを取得。そして数多くのクラブで指揮を執り、結果こそ残せずともロマン溢れる戦術で同業者の称賛を得た。

2005年から率いたドラドス・シナロアでは指導者を目指していたジョゼップ・グアルディオラを選手として獲得し、そのコーチングの技術を叩き込んだという。

ラルフ・ラングニック

指導したクラブ:シュトゥットガルト、シャルケ、ホッフェンハイム、RBライプツィヒ、マンチェスター・ユナイテッドなど

「プロフェッサー」の愛称を持つサッカー教授ラルフ・ラングニック。選手時代はシュトゥットガルトの下部組織に所属し、それからアマチュアでプレー。一時はイギリスのサセックス大学で学びながら、ノンリーグを戦っていたこともある。

1998年にドイツのテレビで自身の戦術を解説した際につけられた「教授」はもともと皮肉的なものであったが、それから様々なクラブで実績を残すに従って彼の能力を称賛するものになっていったという。

2012年にはレッドブルグループのスポーツディレクターとなり、世界中にその哲学を広げていった。ユルゲン・クロップやトーマス・トゥヘル、ラルフ・ハーゼンヒュットル、ユリアン・ナーゲルスマンらのベースとなっている「ゲーゲンプレス」はもともとラングニックが発祥であるとも。

ウィル・スティール

指導したクラブ:スタッド・ランス

今最も注目されている「アマチュア選手出身監督」だ。シント=トロイデンなどのユースに所属した経験があるが、10代でサッカーゲーム「フットボールマネージャー」にガッツリハマったことで指導者を志したという。

18歳でプレストン・ノースエンドのU-14で指導者としてのキャリアを始め、分析ツールを使用したアナライズが評価されて多くのクラブで指導を行うことになった。リールセ時代には24歳で初めて暫定監督に就任し、なんと低迷チームで7連勝を飾るなど結果を残したものの、UEFAのAライセンスすら持っていなかったという。

そして昨季からアシスタントコーチに就任したスタッド・ランスで再び注目を集めることに。昨年10月に監督が解任されたため暫定的に指揮を任されると、なんとそれから14試合無敗という素晴らしい結果を残した。

小菊昭雄

指導したクラブ:セレッソ大阪

日本で最も注目されている「アマチュア選手出身監督」といえばセレッソ大阪の小菊昭雄氏であろう。ライセンス制度の関係上アマチュアからの叩き上げが難しいなか、アルバイトのコーチからトップチームの監督にまで引き上げられた。

2021年8月にレヴィー・クルピ監督が解任された後、監督に就任。初戦となった大阪ダービーで勝利を収めたことで勢いに乗り、それまでの低迷を感じさせないような快進撃を見せた。

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そして2022年にはルヴァンカップで決勝にまで進出。ユース出身選手や若手への気配り、そしてベンチで選手を鼓舞する言葉などが大きな話題を集めた。

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