人魚のミイラ 実は紙や皮の造形物 浅口・円珠院蔵、倉敷芸科大研究

円珠院の「人魚のミイラ」

 倉敷芸術科学大(倉敷市連島町西之浦)などのチームは7日、円珠院(浅口市鴨方町六条院西)に保存されている「人魚のミイラ」(体長約30センチ)が1800年代後半に作られた造形物だったとする研究結果を発表した。DNAは検出されず、CTなどで分析したところ骨格はなく、紙や綿、魚の皮を使って仕立てられていたことが分かった。

 寺には「人魚干物」の書き付けとともに伝わってきたが、来歴は不明。正体を探るため、同大教員や岡山県内の民俗学者らがチームをつくり、寺の協力も得て昨年2月から1年がかりで調査を行った。

 同大で記者会見した加藤敬史・生命科学部教授(古生物学)らによると、上半身は薄い紙を重ねたりフグの皮を貼ったりして成形し、体毛は動物の毛を接着していた。炭と砂を混ぜた膠(にかわ)のようなものも確認された。歯は肉食魚類、下半身を覆う皮はうろこの形などからニベ科の魚類と判明した。

 頭や体の中に頭蓋骨や背骨、ろっ骨などはなく、布や紙、綿が詰められ、顎周辺などは部分的に漆喰(しっくい)のようなもので固められていた。

 剥離したうろこの放射性炭素年代測定から、制作時期を江戸末期~明治初期と推定した。

 国内では江戸期以降、目的は不明だが、多くの人魚が作られ、国内外に流通。県内には円珠院を含めて3体の現存が確認されているという。加藤教授は「詳しい研究は少なく、成果を蓄積していくことで人魚制作の歴史を理解するきっかけになれば」と説明した。

 会見に同席した柆田宏善住職は「造形物のミイラであろうと、作った人、受け継いできた人らの思いが宿っている。今後も守り伝えていきたい」と話した。

CTによる画像。骨格はなく詰め物でできていた。顎の辺りの白い部分が漆喰のようなもの(倉敷芸術科学大提供)

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