「56年闘って、いま現在このような状況」再審制度の在り方を問う“袴田事件”90歳の姉が捧げた半世紀【現場から、】

1966年、旧静岡県清水市(現静岡市清水区)のみそ製造工場で一家4人が殺害されたいわゆる「袴田事件」。死刑が確定している袴田巖さんの姉・秀子さんが2月8日、90歳の誕生日を迎えました。人生の半分以上を弟の無実の証明に捧げたという秀子さん。半世紀を超える審理は、この国の再審制度にも影響を与えようとしています。

<袴田巖さんの姉 秀子さん>

「私は90とは思っていませんが、90でございます。卒寿でございます。巖からね、けさになってね、このセーターをくれたんですよ」

人生の半分を弟の無罪を証明するために闘ってきました。1966年、旧清水市(現静岡市清水区)のみそ製造工場で専務の一家4人が殺害されたいわゆる「袴田事件」。逮捕された袴田さんは、裁判で一貫して無実を訴えましたが、1980年に死刑が確定しました。袴田さんの3歳上の姉、秀子さんは弟の無実を求め、支え続けてきました。

1981年、袴田さんは裁判のやり直し=再審を請求。27年後の2008年、最高裁が下した判決は抗告棄却、再審の扉は開かれませんでした。

<袴田巖さんの姉秀子さん>

「残念ながら棄却されてしまいました。27年の歳月を裁判所は、何をしていたんでしょう」

2008年、秀子さんは裁判のことを理解していない袴田さんに代わって、2度目の再審請求を開始。2014年、静岡地裁は裁判のやり直しを認めました。48年ぶりに釈放された袴田さん。釈放から9年経ちますが、検察側が即時抗告したため、審理はまだ続き、その身分は、未だ死刑囚です。

世紀を超える審理に、裁判所は異例の対応をとりました。再審請求人として、秀子さんのほかに弁護団の一員で、袴田さんの自宅近くに事務所を構える村松奈緒美弁護士を加えることを認めました。

<袴田事件弁護団 西嶋勝彦弁護士>

「もし、秀子さんに万一のことがあったら、それから助けるために、複数の再審請求人で今後進めて欲しいという申立てをしておりましたけど、それが異議なく承認されました。これは恐らく前例のない取り扱いだろうと思います」

<袴田事件弁護団 村松奈緒美弁護士>

「秀子さんに何かあった時の後ろに控えるものとしているだけだという風に理解をしておりますので、私が出る幕がないほうがいいなという風に思っています」

<袴田巖さんの姉秀子さん>

「(村松弁護士が)再審請求人になれたってことは安心していられるね。いつなんどき、どうなるかわからんで、あすコロっといくかもしらんだもん」

さらに、再審について定める法律、「再審法」を見直そうという動きもあります。日弁連は再審可否の決定までに時間がかかりすぎている現状を問題視しています。とりわけ時間がかかりすぎる原因として指摘されているのが、検察による抗告です。

袴田事件では、2014年の再審開始決定を不服とする検察の抗告により、9年が経った現在も袴田さんの再審可否は決まっていません。

日弁連の再審法改正実現本部は、検察官の抗告禁止などを盛り込んだ意見書を3月中までに公表する見込みです。

<袴田巖さんの姉 秀子さん>

「私たちは56年闘って、いま現在、このような状況です。検察官の即時抗告というのは早くなくしていただきたいと思っております。ともかく、巖の再審開始になることを見届けていきたいと思っている」

日本の再審制度の在り方を問う袴田事件。東京高裁は、再審開始の可否を3月13日に示す見込みです。

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