妻と子どもを川に入れ、後追い自害した鎌倉幕府役人…太平記に悲話残る大野市の「牛ケ原城」 福井県の城紹介「わが町のわが城」

平泉寺との戦いに備えて築かれたとされる牛ケ原城の城跡=福井県大野市牛ケ原

 かつて大規模な牛ケ原荘園のあった福井県大野市乾側(いぬいかわ)地区。鎌倉時代に荘園と対立していた平泉寺との戦いに備えるため、地区内の鍋床山の中腹に築かれたとされるのが牛ケ原城だ。軍記物語「太平記」に登場する。

 牛ケ原城に関する資料は残っていないが、太平記巻十一の「越前牛原地頭自害事」で、次のような内容が書かれている。

 鎌倉幕府の役人だった淡川右京亮時治(あいかわうきょうのすけときはる)が、地頭として大野に派遣された。1333年、朝廷の監視や西国を支配するため京都に設けられた六波羅探題が足利尊氏に打ち倒され、さらに新田義貞によって鎌倉幕府が滅亡。六波羅探題が滅びたとの知らせを聞いた時治の家来たちはとたんに逃げ出し、残ったのは20人ほどだけ。その隙を突いて平泉寺の僧兵らが攻め込んできた。時治は、妻と2人の子どもを川に入水させると、後を追って自害した。

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 地元住民でつくる「乾側をよくする会」は2014年に「乾側歴史ものがたり」を発行。時治の悲話について、小学生でも理解しやすいように漫画で紹介している。発行に携わった北川正雄さん(75)は「地域の人にも身近な歴史を知ってもらい、後世に伝えていってほしい」と話していた。

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牛ケ原城

 城跡には、乾側をよくする会が整備した登山道で行ける。登山口からは約200メートル。登山口に通じる道は冬季、積雪で車が通行できない場合がある。

乾側をよくする会

 大野市乾側地区内の全約220戸が加入。過去には地区内にある古墳や史跡、見どころを紹介した「乾側のトリセツ」を発行した。

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