虎次郎建造のサウナか 意匠図発見 孫が資料保管 倉敷に似た小屋現存

無為堂(右)に隣接する石造りの小屋。塊太郎さんは「ここがサウナだったのでは」と推測する

 大原美術館のコレクションの礎を築いた洋画家児島虎次郎(1881~1929年)が、晩年を過ごした「無為村荘」(倉敷市酒津)につくったサウナとみられる建物の意匠図2枚が、10日までに見つかった。敷地内には図とよく似た小屋が現存しており、孫の陶芸家児島塊太郎さん(75)=総社市=は「昔サウナがあったと伝え聞いていた。体調を崩しがちだった虎次郎が、療養のためにつくったものに違いない」と話している。

 意匠図は、塊太郎さんが自宅で保管していた虎次郎ゆかりの資料を整理中に発見。スケッチブックに鉛筆と水彩で描かれ、上部がアーチ形と平らな形の2種類あり、いずれも石造りで木製の戸が付いている。片隅には「聖壽(じゅ)無彊(きょう)」と長寿を連想させる言葉が記され、別の1枚には外気浴用と思われる建屋の図もあった。

 虎次郎は晩年、実業家大原孫三郎の計らいで無為村荘に居住。敷地内にエジプトの意匠など自身の理想を詰め込んだ住宅「無為堂」(26年完成)やアトリエを建て、制作に打ち込んだが、47歳で死去した。

 塊太郎さんは、スケッチブックに無為堂の設計図が挟まれていたこと、無為堂の隣に用途が分からない石造りの小屋があることから、この小屋がサウナだったのではないかとみる。

 日本サウナ・スパ協会(東京)によると、国内でサウナが普及したのは64年の東京五輪でフィンランドチームが選手村に持ち込んで以降。血行促進や疲労回復などの効用があるとされるサウナを、欧州に3度留学、滞在し、世界を旅した虎次郎が知っていたとしても不思議はない。

 「画家としてこれからという時期に病気をした虎次郎の『少しでも長く生きたい』という強い気持ちが感じられる。何遍も入って体を整えたのだろうか」と塊太郎さん。資料は2024年度末のグランドオープンを目指している大原美術館「新児島館」(仮称、倉敷市本町)での公開を検討したいとする。

児島虎次郎のスケッチブックに描かれていたサウナとみられる建物の意匠図2枚。右の1枚には左上に「聖壽無彊」と記されている

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