具体的な位置いまだ不明…越前国府はどこにあった? 福井県越前市が2023年度から発掘プロジェクト

越前国府の所在地推定図

 福井県越前市は2023年度から、奈良時代から平安時代にかけて置かれていた越前国府の所在地を探る「国府発掘プロジェクト」に乗り出す。越前の中心だった国府は、北陸新幹線県内開業に向けて市がブランド化を進める歴史・文化の象徴。5年間の本格的な発掘事業で位置特定に挑み、情報提供や現場見学を通じた市民参加型の運動に発展させていきたい考え。市文化課は「国府があった場所の謎を市民みんなで解明していきたい」としている。

 国府は、奈良時代に大和朝廷が中央官吏による直轄統治を進めるため、約60の国ごとに設けられた官庁区域。越前国府は、古代歌謡の催馬楽「道の口」に歌われていることなどから、現在の同市中心部にあったとされながら、具体的な位置はこれまでの調査で解明に至っていない。

 市は、紫式部が越前に移り住んで千年の節目となった1996年~2000年にも、国府の発掘調査に注力。府中城跡(現在の市役所立体駐車場西側)で出土した土器から、国府には1カ所ずつ置かれていた国分寺の所在を示す墨書きが見つかった。以降、年間3~5カ所程度の小規模な試掘は続けているが、進展は得られなかった。

 23年度からのプロジェクトでは、国府域にあった施設の柱穴が並ぶ遺構など位置特定に結び付く発見を目指す。市中心部の空き地や住宅建て替え地などを対象に所有者の協力を得ながら、規模を拡大した発掘調査に取り組む。

 市文化課の担当者は「越前市はかつて国府の所在地として栄えたことで、ものづくりなどの産業が発展し、現在の伝統工芸につながっている」と説明。発掘調査に向け「実物が出てきて存在が明確になることで、深く根付いた歴史・文化を強く打ち出すことができる」と意気込む。

 市民参加を促す取り組みでは、発掘できる地点の情報提供を求めるほか、発掘中の現場の一般公開や説明会などを企画していく予定。同課は「これまでの固定観念を外して発掘の対象範囲を広げたい。専門家の見解はもちろん踏まえながら、一般の人の意見にも耳を傾けながら調査を進めたい」としている。

 市は発掘事業を、23年度からの市総合計画に掲げる「文化県都宣言プロジェクト」の一環にも位置付けており、歴史・文化の発信を市民の誇りや地域の活力につなげていく方針。国司の父とともに越前市に移り住んだ紫式部を主人公とする24年放送のNHK大河ドラマ「光る君へ」に合わせ、機運醸成の相乗効果も見込んでいる。

 ◇越前国府 708年から1100年代まで現在の福井県越前市に置かれ、おおむね800メートル四方の範囲に国庁や国司館、政所など行政機関の施設があったとされる。歴史地理学的な方法で所在地を推定する研究は発表されてきた。主に斉藤優説(1936年)、藤岡謙二郎説(69年)、水野時二説(71年)、真柄甚松説(78年)があり、いずれも総社大神宮や市役所を含む区域を示す。全国の旧国単位68カ国のうち、これまでに国府の位置が判明しているのは21カ国のみとなっている。

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