<書評>『学知の帝国主義』 継続する植民地主義

 この書名を目にしたとき、「ああ、現在の話だな」と思った。本書では、近代の欧州や日本の植民地帝国主義を「学術」が正当化し、加担した事実を明らかにしている。人類学者らは、身体的特徴により帝国の人間と「その他の人びと」に優劣をつけた。さらに日本は他民族の言語と日本語の幾つかの共通点から「同祖論」をでっちあげ、「遅れた同胞を近代化する」ため同化支配を進めた。

 研究のために世界中で先住民族の遺骨の盗掘が行われ、琉球人の遺骨も帝国大学の人類学者によって盗まれた。現在、子孫らが遺骨を所有する京都大学や沖縄県教育委員会に対し返還を求めているが、「貴重な研究資料」との理由で拒否されている。

 国際社会では植民地主義の反省や国際人権法の発展により遺骨返還が進んでいるが、日本はいまだ、日本人の「起源」研究のために琉球人の遺骨を占有し、権利や尊厳を侵害している。

 現在でも、日本人の「専門家」が琉球の帰属や基地負担を勝手に決め、県が進めている人権条例に関しても「琉球人・沖縄人の定義が難しい」と、植民者・支配者側が「他律的」に民族の存在やアイデンティティーを否定している。彼らは、日本人やアメリカ人だと自認する者に対してその定義を求めるのだろうか? 琉球・沖縄ルーツの人に対して「のみ」なのか。琉球において、「植民地帝国主義」は現在進行形なのだ。

 著者は、琉球人側の「内なる植民地主義」も指摘する。1903年の人類館事件で琉球人女性が「陳列」されたことに対し、太田朝敷が「我らをアイヌや西蕃と同一視するな」と批判した。差別から逃れるために強い側(日本人)に同化し、より弱い者を差別する構図は、現在の「沖縄の人々は先住民族『など』ではない」という、世界の先住民族を蔑視するメンタリティと深くつながっている。

 琉球人であれ日本人であれ、本書に対する反応が、自らの歴史を直視し克服できるか否かのバロメーターになるだろう。基地の県外移設論や琉球独立論に対するそれと同様に。

(仲村涼子・琉球人遺骨返還を求める「ニライ・カナイぬ会」)
 まつしま・やすかつ 龍谷大教授。主な著作に「歩く・知る・対話する琉球学―歴史・社会・文化を体験しよう」「琉球独立宣言―実現可能な五つの方法」など。

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