ミャンマー刑務所の生き地獄|大塚智彦 いま、どんどん明らかになるウイグル人権弾圧の実態。しかし、ミャンマーでも目を覆いたくなるような人権弾圧が……。

市民への暴力的尋問が横行

2021年2月、ミャンマーではミン・アウン・フライン国軍司令官らによるクーデターが勃発、ノーベル平和賞受賞者で民主化運動の旗手とされたアウン・サン・スー・チーさんが実質的に率いる民主政府が転覆され、以来、軍事政権が続いている。

スー・チーさんら民主政府幹部や与党「国民民主連盟」(NLD)関係者はクーデター当日に身柄を拘束、スー・チーさんは19の容疑で訴追を受け、合計33年の禁固刑で刑務所での日々を送っている。

軍政は、民主政府復活やスー・チーさんらの釈放を求める市民によるデモや集会を暴力、拷問、虐待、そして殺害という強権弾圧で抑え込もうとしているため、対立が激化。民主政権時代から、国境周辺で軍との戦闘を続けてきた北部カチン州の「カチン独立軍」(KIA)や中東部カヤー州の「カレン民族解放軍」(KNLA)、西部チン州の「チン民族戦線」などの少数民族武装勢力に加えて、クーデター発生後に地下潜伏したり国外に逃れたりした民主派勢力が組織した「国民統一政府」(NUG)傘下の武装市民組織「国民防衛隊」(PDF)の武装市民らと衝突、戦闘も激化していて、ミャンマーは実質的な「内戦」状態に陥っている。

軍政は、PDFによる神出鬼没の都市街戦や山間部での待ち伏せ攻撃などのゲリラ的戦法に手を焼いている。PDFのメンバーや関係者、シンパなどの摘発に乗り出しているが、その過程で無実、無抵抗、非武装の一般市民への暴力的尋問が横行、抵抗する市民の殺害、疑わしき市民の逮捕が各地で相次いでいる。

そのため、国内に56カ所あるとされる刑務所はどこも政治犯で定員オーバー、超過密状態といわれている。

犬小屋に閉じ込められる

そうした刑務所では、反軍政抵抗運動などの容疑で逮捕されたいわゆる政治犯は劣悪な環境、粗末な食事などに加えて、刑務官や一般刑事犯収容者らによる恣意的な暴力行為、差別、虐待に日常的に直面している。健康を害しても、医療関係者による診断や満足な医薬品の提供を受けられずに放置されて、刑務所の房で命を落としたりするケースも多いという。

最近、こうしたミャンマーの刑務所の実態が独立系メディアの「ミッズィマ」 「ミャンマー・ナウ」 「イラワジ」「キッティッ・メディア」などで報道され、国内外に伝えられた。

独立系メディアで働く記者らは、治安当局から指名手配され、潜伏しながら命懸けの取材を続けている。

報道は、実際に服役している仲間や政治犯からの情報提供に基づいていることから、その内容の信憑性は極めて高い。

中心都市ヤンゴンにあるインセイン刑務所は悪名高い刑務所である。その劣悪な環境から、「人類が作った地獄」の異名をとっているほどである。130年以上前、イギリス植民地時代に住民弾圧のために建設され、放射状に伸びた房に定員の2倍(約1万人)の一般刑事犯、政治犯が収監されている。

収容経験者の話によると、独房などは下水設備も未整備で、硬い床の上に薄い毛布があるだけ。食事は小石や砂の混じった米に、肉ではなく動物の骨や腱がわずかに与えられるだけという貧弱なものだったという。

特に政治犯は、刑務官や取り調べに当たる治安当局者から殴る蹴るの暴力を受けるのが日常茶飯事。火傷を負わされたり、電気ショックを加えられたり、傷口に塩をすりこまれ、犬小屋に閉じ込められるなどの人権侵害が行われているのだ。

スー・チーさんも2003年と2009年に、政治犯としてインセイン刑務所に収監されたことがあり、ヤンゴンで反軍政の市民デモを取材中に逮捕された映像ジャーナリスト久保田徹さんや、入管法に問われていたビッキー・ボウマン元英国大使、スー・チーさんの経済顧問でクーデター発生直後に逮捕され収監されていたオーストラリア人のショーン・ターネル氏も収容された。

2021年4月には、ヤンゴン市内で取材中に拘束された日本人の北角裕樹氏も、拘束直後にインセイン刑務所に収監されて当局から尋問を受けた(北角氏は約1カ月後に釈放され、強制退去処分となって日本への帰国を果たしている)。

刑務所内で射殺

2022年4月には、インセイン刑務所内で受刑者の間に不穏な動きがあるとして、主に学生運動家などの政治犯100人以上が国内の56の刑務所に分散移送された。このような措置により、政治犯同士の連絡や情報共有を不可能にして孤立させる狙いが当局にあったとみられている。

6月にも同様のことがあった。

スー・チーさんの誕生日である6月19日は、クーデター前はスー・チーさんのシンボルでもある花を手にした市民が国中の街角で祝福のデモを行い、街角には多くの花が飾られ、国会でも誕生パーティーが催されるなど「民主化運動を率いた不屈の闘士」にとっては華やいだ一日となる。

インセイン刑務所に収容されている政治犯受刑者12人は、スー・チーさんの誕生日に密かにささやかなお祝いを計画。12人は手のひらに反軍政のメッセージを書き、刑務所内で行われる予定だった裁判の法廷で見せるというものだったが、刑務所内にいる当局スパイによって計画が漏れたため、雑居房から独房に移送されたという。

独房に移送された12人の政治犯は、お互いのコミュニケーションが取れなくなった。

ミャンマー中部の都市マンダレーにあるオポ刑務所とミンヤン刑務所も、現地ではともに「悪名高い刑務所」として知られる。

オポ刑務所では、6月5日に刑務官による過剰暴力が原因で2人の政治犯が死亡、13人が負傷した。刑務所長を含む複数の刑務官が金属製の棒で、理由は不明確だが、政治犯に殴り掛かり2人が死亡、13人が刑務所内の病院に収容され、20人が独房送りとなった。150人が同市内のミンヤン刑務所に移送されたというから、かなり大規模な事件だったことがわかる。

6月6日には南東部カレン州にあるパアン刑務所で、政治犯2人が刑務所内で射殺され、60人が負傷する事件も報道されている。

生理用品も提供されず

中部サガイン地方域のモンユワにある約900人の政治犯が収容されている刑務所では、6月1日に女性政治犯2人が口論していたところ、刑務官が2人を強く殴打し続けたということが報告されている。

このモンユワの刑務所では男性刑務官による女性政治犯へのセクハラ、性的暴力の頻発も伝えられている。

たとえば、女性政治犯を男性受刑者の区画に収容したり、プライバシーが確保できないトイレしかなく、水が流れる清潔なトイレがないという。生理用品も提供されないなどの事例が報告されている。

5月初旬には、このモンユワ刑務所で処遇改善などを求め、受刑者による暴動が発生し、多数の受刑者が刑務官による過剰暴力で鎮圧されている。

ミャンマーの刑務所に関して、六月に大きな動きが2つあった。スー・チーさんの刑務所移送と、民主派政治犯への死刑執行方針表明である。

6月22日に、スー・チーさんがヤンゴン市内の軟禁場所から首都ネピドー郊外の刑務所に移送され、独房に収監されたとのニュースが流れ、民主派組織や人権団体から非難の声が一斉にあがった。

2021年2月1日のクーデター当日に軍政によって逮捕されたスー・チーさんは、その後、しばらくの間はネピドー市内の自宅に軟禁され、その後はどこかわからない軟禁場所から裁判に出廷していたとされる。今後は、刑務所の独房から刑務所内に設けられる特別法廷に出廷して裁判を受けていた。

軍政としては、刑務所に収容することでスー・チーさんの政治的影響力を極力削ぎ、市民の反軍政運動の鎮静化にげたいのだろう。スー・チーさん自身に精神的プレッシャーをかけて闘争心を挫き、民主化運動への情熱を失わせる狙いもあるとみられている。

インターネット上には、スー・チーさんが移送されたとみられる、このネピドー郊外の刑務所の外観が映像配信されている。

映像を見ると、道路の両側にジャングルが続く地帯の道路脇に突然刑務所の正面玄関とみられるゲートが現れ、銃を持った兵士が警備する門の前には、面会を求める家族らしい人が数人待機している様子が確認できる。

ネピドーは2006年にヤンゴンから首都移転した都市で、何もないジャングル地帯の軍用地を開発したから、周囲には広大なジャングルが残っているのだ。スー・チーさんが移送された郊外の刑務所も比較的新しい施設とみられているが、生活環境や食事内容などは明らかにされていない。

ASEANの要請も拒否

スー・チーさんの33年の禁固刑には各方面から非難が沸き上がっており、ミャンマーが所属する地域連合である東南アジア諸国連合(ASEAN)も素早く動き出した。

2022年のASEAN議長国(持ち回り)であるカンボジアのプラク・ソコン外相は、ASEAN特使として6月29日からヤンゴンを訪問し、軍政幹部との会談を重ねて、スー・チーさんを刑務所から軟禁状態にあった施設に戻すよう訴えた。武力行使の停止や関係者との面会なども要求したが、いずれも拒否されたという。

ASEANは、クーデター後からスー・チーさん解放に向けて動いてはいた。2021年4月、ASEANはインドネシアのジャカルタでASEAN緊急首脳会議を開催し、軍政トップのミン・アウン・フライン国軍司令官を各国首脳との直接面談の場に引っ張り出すことに成功。

スー・チーさんの即時釈放はミン・アウン・フライン国軍司令官の反対で合意に達しなかったものの、議長声明という形で「5項目の合意」で意見の一致をみた。もちろん、ミャンマーも合意した。

「5項目」には「即時武力行為停止」とともに「全ての関係者との面会」が含まれており、以後のASEANのミャンマー問題解決への基本方針となっている。

しかし、軍政は「武装市民らの攻撃が続いている」として武力行使の停止を拒否するとともに「裁判の被告人との面会を許す国などない」として、スー・チーさんとの面会を拒絶し続けている。

ASEANとしては、問題解決には民主派指導者であるスー・チーさんとの面会が「必要不可欠」との姿勢だが、軍政の頑なな姿勢の前に、調停工作は行き詰まっている。

30年ぶりの死刑執行

今回、スー・チーさんが刑務所に移送されたことで、ASEANの「面会要求」はますます困難になると判断、ASEAN特使であるカンボジアのプラク・ソコン外相が、急遽ネピドーを訪問。

6月3日に、軍政はクーデター後に組織した「国家統治評議会」(SAC)は、死刑判決を受けて収監中の民主派勢力の著名人政治犯2人を含む4人に対する「死刑執行方針」を明らかにし、7月23日に死刑を執行した。

今回、死刑が執行されたのは、スー・チーさんが党首だった民主政府与党のNLD元議員のピョーゼヤートー氏と、民主化運動活動家のチョーミンユー(愛称コー・ジミー)氏、さらに国軍へのスパイ行為をしていた女性をヤンゴン近郊で殺害した二人の計4人。

いずれも軍政支配下にあり、公正さや公平さが全く欠如している裁判によって死刑判決を受け、インセイン刑務所に収監されていた。

ピョーゼヤートー氏とコー・ジミー氏2人は上級裁判所に上訴したが、いずれも却下されて刑が確定していた。

4人の死刑執行は、司法制度に基づく死刑としては1990年以来だ。

ミャンマーの刑務所には死刑判決を受けた政治犯が約100人いるとされるが、クーデター後に執行されたのは今回の4人が初めてだった。

軍政の死刑執行方針表明に対しても、ASEANは議長国カンボジアのフン・セン首相がミン・アウン・フライン国軍司令官に書簡を送り執行中止を求めたが、軍政はその要請を無視して死刑を執行した。

この死刑執行で、ミャンマー問題の仲介・調停に当たってきたASEANは態度を硬化させ、11月のカンボジア・プノンペンでの首脳会議にミャンマーは招待されず、ミャンマー抜きのASEANが常態化する事態を招く結果となった。

クーデターからすでに2年以上が経過しようとしているが、ミャンマー国内の治安状況は依然として混迷を極めている。

各地で軍と武装市民、少数民族武装勢力との戦闘が続き、双方に多くの犠牲者が出ている。こうした抵抗、治安の不安定化は軍政にとって予想外のことで、軍内部には相当の焦燥感が募っているという。こうした焦りが、各地で軍による一般市民への暴力、逮捕、残虐行為、殺害に拍車をかけている。

最近、軍は地方の村落で民家や農家を焼き払う「放火作戦」を実行、市民の斬首遺体や集団焼殺遺体が各地で発見されており、放火に伴う一般市民への残虐行為、人権侵害が激しくなっているという。

消耗戦のスパイラル

こうしたなか、軍政は11月17日に政治犯など5800人に恩赦を与えて釈放した。

この恩赦では、先述したインセイン刑務所に収容されていた、映像ジャーナリストの久保田徹さん、ビッキー・ボウマン元英国大使、ショーン・ターネル氏も含まれていた。

久保田氏は恩赦の翌日18日に、強制退去の形で日本に無事帰国している。

1月にも約七千人の恩赦を行ったが政治犯の恩赦は400人に留まった。軍政が恩赦を実行した背景には、全国の刑務所が政治犯でいっぱいになっていた状況に加え、恩赦という形によって多くの政治犯を釈放することで、欧米やASEANに対してアピールする狙いがあるとみられている。

欧米による軍政への批判や経済制裁は、中国のバックアップによって、深刻な影響を与えるまでには至っていない。武装市民への武器供与は、軍事訓練を受けた国境周辺の少数民族武装勢力経由でされているが、それも限界がある。結局、待ち伏せ攻撃した軍兵士や輸送トラックから武器を奪うしかない。武器奪取は命懸けで犠牲も多いとされ、武装市民組織は厳しい状況での戦いを強いられている。

民主派のNUGの発表によると、5月7日から6月6日までに軍との戦闘が5934件あり、地雷や爆弾事件は百七件発生し、軍兵士2613人が死亡、539人が負傷。

軍政もこの消耗戦に頭を痛めている。クーデター後に、軍や警察組織を離脱したり辞職して国外脱出したり、民主勢力に合流したりした兵士や警察官は8000人以上に上るという。

軍側は犠牲者数や辞職・離脱者数を明らかにしていないため、数字の信憑性は不明だが、相当数の犠牲者・離脱者が出ていることはたしかだ。

一方、民主派勢力側は、タイのバンコクに本拠を置く人権団体「政治犯支援協会」(AAPP)によると、2月10日現在、殺害された市民は2968人、逮捕拘留されている市民は1万7725人となっている。

このように、ミャンマーでは軍政と武装市民組織との間での戦闘が繰り返される「消耗戦のスパイラル」に陥っており、和平や調停などによる問題解決の道筋は全く見えてこない。

ミャンマーが頼りにする中国やASEAN、日本を含めた国際社会も問題解決に積極的にかかわれない、ないしはかかわろうとしないなかで、今日もミャンマーの一般市民や刑務所内の政治犯は、極限状態のなかで人権侵害や死に直面している。

大塚智彦

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