約100年前にお遍路宿につるされた「米俵」の中身を調査  「これすごい、すごいです」 香川

高松市にある約100年前に建てられた遍路宿の天井からつるされていた米俵のようなもの。中に入っていたものは何だったんでしょうか?

四国霊場第85番札所八栗寺の麓にある遍路宿「高柳旅館」。

改装工事の途中に見つかったのは、2階の屋根裏につるされた米俵のようなものです。16日はその中身を調査します。

(高柳旅館/高橋秀信 代表)
「かなり古いものがあると思うので、ちょっと見てみたい」

噂を聞きつけ、遠方から訪れた人も――。

(大阪から訪問した人は―)
「お遍路さんの歴史がとても好きで、今回、俵札(たわらふだ)が実際あるということで、実物をぜひともこの目に見たいなと」

「俵札」とは、宿などで接待を受けたお遍路さんがお礼として渡す納札(おさめふだ)を保存しておくための俵のこと。「俵札」を屋根裏につるすと、家を災いから守る、とされていますが、実際に屋根裏にぶら下がっているものを見るのはとても珍しいということ。

中身は本当にお札なのか……俵を下ろす緊張の瞬間。下りてきた俵を見た高橋さんは――。

(高柳旅館/高橋秀信 代表)
「わりと小さい感じがしますね……」

さっそく車に積み、専門家に見てもらうため近くの資料館に! 気になる結果は……。

(米俵の中を確認する様子)
「これ結構しっかりしとる」
「これすごい、すごいですわ、手づくりのお札」
Q.何年ですか?
「元治2年。1865年、江戸時代の本当に末ですね」

米俵から出てきたのは、1864年から1865年にお遍路さんによって書かれた納札でした。どこから来たお遍路さんかというと――。

今回調べた中には、西讃岐と呼ばれる、いまの観音寺市あたりを中心に、愛媛や大阪など県外からのお遍路さんの納札が見られました。

今回、1時間ほど中身を調査し確認できたのは30枚。片桐館長曰く、俵の中には約2500枚のお札が入っている可能性があるとのこと。

(さぬき市へんろ資料館/片桐孝浩 館長)
「かなり残りがいいなというのが率直な感想ですね。全体開けてるわけではないので、まだ残っている中にそれより前の納札が残っている可能性もありますし、それより後の明治期の納札がある可能性もある」

(高柳旅館/高橋秀信 代表)
「つけた人の思いがあるので、出して調べても中身はそっくりそのまま詰めて保存しておこうと。四国のお遍路文化っていうのは四国の文化ですから、生きている時代の人たちが大事にしていかないと。宿命だと思います」

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