自閉症の息子との日々生き生きと、五行歌で取り戻す“私” 「他の誰/のために書く/というのだ/わたしの/ものがたりである」

自宅近くの公園で並んで座る歌人の桑本明枝さん(左)と長男の文滉さん=2022年11月、大阪府枚方市

 5行でつづられた「五行歌」というスタイルの歌集。ページをめくると、軽やかで堂々とした歌の数々が印象に残った。自閉症の長男(27)や夫との暮らしが生き生きと描き出されている。
 「自閉症の息子と/歩くと/街は 舞台だ/私は/助演女優賞をもらう」
 「順風満帆の人生/ならば ウタなど/うたわなかっただろう/いろいろ/あってこそ」
 どんな人が詠んでいるのだろう。会いたくなり、取材を申し込んだ。(共同通信=石原知佳)
 ▽現れたのは―
 快諾してもらい、昨年11月上旬、大阪市中央区の喫茶店で待ち合わせた。目の前に現れたのは、メガネを掛けた優しげな女性。歌人の桑本(本名・豊高)明枝さん(64)=大阪府枚方市=だ。
 夫と2人の息子との4人暮らし。自閉症の長男をサポートしながら、障害者福祉施設で働いている。
 2021年秋には歌集「コケコッコーの妻」を、22年夏には「緑の星」を出版(いずれも市井社)し、ブログでも毎日のように作品を発表している。
 子育ての悩みや夫婦関係も赤裸々に明かし、読者からは「体当たりの歌」「覚悟がすごい」といった称賛も寄せられているようだ。
 桑本さんに五行歌との出会いや歌に込めた思いを聞いた。

桑本明枝さんの歌集「コケコッコーの妻」と「緑の星」

 ▽子育てに踏ん張る中で
 桑本さんは1958年、大阪府生まれ。子どもの頃から日記や読書感想文を書くのが好きだったという。高校生のころ、家庭環境が荒れ、ぐちゃぐちゃした気持ちを吐き出そうと、詩を書こうとしたが挫折。短歌も長続きしなかった。消化できないまま大人になったが、それでも「何か表現したい」との思いはずっとくすぶったままだった。
 大学でフランス語を学んだ後は、塾のアシスタントや研究機関の事務として勤務。93年、母親同士が知り合いだった縁で夫と結婚し、退職した。95年に長男が誕生。家庭生活は順調に思えた。
 だが、長男が1歳半の時に受けた市の健康診査で指さしができずに「経過観察」になり、2歳になってもできなかったことから、発達に不安を感じるようになる。親族からは「考えすぎだ」と言われたが、4歳になる直前、自閉症と診断された。
 1999年には次男を出産。一筋縄ではいかない長男の子育てに加え、新生児の世話も始まり、忙しい日々が続いた。自由な時間はほとんどなかったが、「障害児の母が仕事だ」と思うようにし、踏ん張っていた。
 五行歌と出会ったのはそんな頃。知人に月刊誌を読むよう勧められたのがきっかけだった。掲載されていた作品群の自由闊達さに引かれ、「これだ!とピンときた」と振り返る。
 五行歌のルールは5行で書くこと。ほかには字数も内容も制約はない。好きなテーマを好きな表現で歌う。和歌のように「五七五七七」にとらわれず、言葉や呼吸の切れ目で改行する。愛好者が集い、作品を発表し合う歌会でも、互いに批評するよりも良いところを褒め合うのが大事という。
 母や妻という役割にがんじがらめになっていた桑本さんにとって、歌が感じさせてくれる自由は魅力的だった。
 すぐに歌人として活動を始め、2005年には地元で歌会を開くまでになった。

歌人の桑本明枝さん。「あふれるものがある限り、楽しく形にしていきたい」と話す

 ▽記憶にユーモアを交えて
 子どもたちが大きくなるにつれ、徐々に翻訳や障害者福祉施設での仕事も始めた。障害のある子どもの親の会や地域でのボランティア活動にも参加し、ますます多忙を極めたが、わずかな時間を縫うように歌は詠みつづけた。
 歌が浮かぶ時は、「頭の中にふっとお客さまがいらっしゃったような感じ」なのだそう。子どもの送迎を済ませ、一人で歩く道すがらによく客人はやってきた。忘れないうちにと立ち止まり、携帯電話に打ち込んで書きためた。
 高校生になった長男は思春期ただ中で不安定さを増し、毎日のように2時間ぐらい近所中を走り回る。桑本さんもごみ箱や看板などを倒す背中を追いかけ続けた。
 「多動の子を追って/土砂降りの中/薄暮の住宅街を/捜し歩く/ここが 私の戦場」
 5歳年上で無口な夫とは、コミュニケーション不足でよくぶつかった。夫婦げんかで謝らない夫に腹が立ち、詰め寄った時の反応が憎々しくもおもしろかった。
 「ごめんと言えない夫/人として/と迫ると/コケコッコーって/ニワトリのふりをする」
 困難があっても、時にまっすぐに、時にユーモアを交えて歌にすることで、自分を客観視したり、頭の中を整理したりして心を緩めてきた。
 これまでの約20年、そうして作った歌は1万首以上。今も毎月約50首が生まれる。

歌の推敲はパソコンで。普段は家事などを終えた夜中から行う

 ▽歩んできた道は平たんではなかった
 喫茶店で話した約1週間後、写真撮影のために自宅へ伺った。桑本さんと長男の文滉(ふみひろ)さんが迎えてくれた。案内された居間では、文滉さんが動画投稿サイトのユーチューブで電車の動画を見ている。子どもの時から電車が大好きらしい。筆談の方が込み入った話をできると聞き、動画再生が一段落したところで、紙とペンを前に記者も尋ねた。
 「お母さんはどんな人ですか?」
 『いい人といっぱいしりあいがいる人です』
 「お母さんのことは好きですか?」
 『すきすきすき』

記者が長男の文滉さんと筆談した。質問すると、ノートに勢いよく返事を書いてくれた

 しばらくして、よく利用するという近所の公園にも案内してもらった。ベンチに並んで座ってもらう。安心したような文滉さんの表情と桑本さんのすてきな笑顔を撮影することができた。
 一見すると穏やかな雰囲気の2人。だが、歩んできた道のりは平たんではなかった。
 「飛び出して/轢(ひ)かれるぞと言われながら/問題行動を止められない/息子と共に 生きている/落ち着け とにかく/生きているのだ」
 「この界隈(かいわい)/頭を上げて歩けませんね/と ばあちゃんと笑う/いたずら迷惑行為激しい息子/周囲に見守られてきた」
 そしてこの先も、さまざまな出来事が待ち受けているのだろうと、未来を見据える桑本さんの覚悟も歌集から伝わる。
 「この子と共に/喜怒哀楽すべてを/生きていきたい/障害児だからと/哀と怒 だけじゃいや」
 「障害の子を授かって/生きる/という意味を/学んでいく/日々確信を深めていく」

筆談は桑本さんが手を添えて介助する

 ▽これからも五行歌とともに
 「なんちゅうこと書いてるねんって後から思うこともあります」と笑う桑本さん。その時の感情など、自分の中に「わ~っとあるもの」を、怒りや悲しみの感情も含め、一つずつ存在を認めながら言葉にしていくという。
 表現の美しさも大事だが、実際に体験し、悩んだり考えたりしたからこそ生まれる力強さが自分の歌の魅力と思う。
 悲しい歌も怒りの歌もあるのに、歌集全体に前向きな明るさがあるのは、桑本さんが喜怒哀楽の全てを肯定し、大切にして歌を詠んでいるからなのかもしれない。
 「あぁ 私/ほんまの言葉に/たどりついたんやなあ/飾りない素直な自分の言葉で/毎日 生きるの楽しい」
 これからも「お客さま」の訪れを待ちながら、自分らしく人生を歩んでいく。
 「他の誰/のために書く/というのだ/わたしの/ものがたりである」

自宅近くの公園で笑顔の2人

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