「党員除名」日本共産党の規約が怖すぎる|松崎いたる 党員ジャーナリストの松竹伸幸氏の除名問題で露呈した“崖っぷち志位和夫委員長”の焦り。そして、志位氏による除名正当化の“トンデモ主張”からわかる共産党規約の恐ろしさ。『日本共産党 暗黒の百年史』の著者で元共産党員の松崎いたる氏による「こんなに変だよ日本共産党」第1弾!

共産党執行部が下した処置は“最高刑”

日本共産党が、党首公選制の導入を訴えた党員ジャーナリストの松竹伸幸氏を除名したことが大きな騒動となっている。

党首を党員の投票による選挙で選ぶことは、どこの政党でも当たり前のことである。しかし、共産党は「党首選挙を行なえば必然的に分派が生じ、党に分断が持ち込まれる」など特異な論理を振りかざして党首選挙を頑なに拒んできた。

松竹氏は、一般党員から党首選びの権利を認めない共産党の歪んだ現状を変えようと著書『シン日本共産党宣言』(文春新書)のなかで「党首公選制」を呼びかけたのである。

松竹氏の提案は至極ごもっともなのだが、現状の共産党では実現する可能性はほとんどない。だから「ご意見は承りました」と決まり文句で受け流す〝大人の対応〟を見せれば、大きな騒ぎにはならなかったに違いない。

ところがこの提案に、志位和夫委員長をはじめとする共産党執行部は「除名」処分という、〝最高刑〟で応じたのだから、マスコミが放っておくはずがない。

2月8日、朝日新聞社説「共産党員の除名 国民遠ざける異論封じ」
2月10日、毎日新聞社説「共産の党員除名 時代にそぐわぬ異論封じ」
2月14日、産経新聞主張「共産党の除名騒動 危うい強権体質が露わに」

と、複数の新聞が社説に取り上げるまでになった。万年野党の共産党がこれほど注目されるのは滅多にないことだ。

共産党にとっては耳の痛い話ではあるが、これも「ご意見拝聴」の謙虚な姿勢があれば、穏便に済むことである。しかし志位共産党にとって、そんな余裕はまったくない。

(朝日新聞デジタルよりhttps://www.asahi.com/articles/DA3S15550073.html)

崖っぷち志位委員長の焦り

志位和夫委員長は朝日の社説が掲載された翌時の記者会見で、同社説について、「(憲法が保障する)結社の自由を全く無視し、乱暴な攻撃だ」などと激しく反論した。

他者の意見や批判を「攻撃」と捉えてしまうところに、志位氏の焦りが見える。まるで崖っぷちに立たされた手負いの猪のようだ。なりふり構わず相手に食ってかかるしか生き延びる道がないと志位氏は感じているのだろう。

カッカしている志位氏の怒りに付きあう必要はない。こちらは冷静になって記者会見での志位氏の主張に耳を傾けよう。以下は会見内容を掲載した2月10日 付けしんぶん赤旗からの引用である。

志位 松竹氏は、自分の行動は、「言論の自由」「出版の自由」にもとづくものだということも言っているようです。しかし、「結社の自由」という角度からこの問題をぜひ捉えていただきたいと思うんです。
憲法21条には、「言論、出版の自由」などとともに、「結社の自由」が明記されています。これは1988年12月20日に出された「結社の自由」に関する最高裁の判示ですが、読み上げたいと思います。
「(結社の自由とは)各人に対して、政党を結成し、又は政党に加入し、若しくはそれから脱退する自由を保障するとともに、政党に対しては、高度の自主性と自律性を与えて自主的に組織運営をなしうる自由を保障しなければならない。他方、右のような政党の性質、目的からすると、自由な意思によって政党を結成し、あるいはそれに加入した以上、党員が政党の存立及び組織の秩序維持のために、自己の権利や自由に一定の制約を受けることがあることもまた当然である」
これが、「結社の自由」の意味であります。松竹氏は、自らの自由な意思で、わが党の綱領および規約を認めて入党しました。そうである以上、かりに意見があれば、党規約というルールに基づいて、それを表明すべきでした。そういう権利は党規約に保障されております。それを一切せずに、党の外から攻撃するということは、これは党規約に違反する。松竹氏が、自らの自由な意思で党に加入した以上、異論があったら、そういう正式なやり方で表明したらよかった。しかし一度もそれをやらなかった。党から脱退する自由もあるんです。しかし、そうではなくて、党員でありながら、ルールを破ったわけですから、これは私たちとしては、当然、「政党の存立及び組織の秩序維持」のために一定の対処をするのは、これは当たり前のことになります。

国民に見抜かれている除名問題の本質

長く引用したが、これで何を言っているのか、 わかる人がどれほどいるだろうか。引用外の部分も含めて会見内容を整理をさせてもらうと、

1.憲法で「結社の自由」が保障されているのだから、除名するのも自由だ。
2.マスコミが除名処分を非難するのは「結社の自由」への侵害だ。
3.松竹氏は異論を持ったから除名されたのではなく、党外から意見表明したから除名された。

というところだろう。

志位氏が〝異論があったから除名したんじゃない〟とわざわざ強調しているのは、共産党の規約には「意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない」(第3条第5項)という条項があるからだ。だが今回の除名問題の本質は「党首公選制」という〝異論〟にあることを多くの国民が見抜いている。

判例を都合よく切り取る志位委員長

ところで志位氏が除名を正当化するために持ち出した「1988年12月20日の最高裁の判示」とは何だろう。じつはこれ、戦前の「共産党リンチ事件」の真相を暴露して除名された当時の副委員長・袴田里見氏(故人)をめぐる裁判の判決である。

除名された当時、袴田氏は党中央委員会が所有する家屋に居住していたため、党が家屋の明け渡し及び賃料相当損害金の支払を求めて提訴。それに対し袴田氏はそもそも除名処分が不当であることを主張し争っていた。

この裁判の判決の一部が志位氏が会見で読み上げた文章なのだが、志位氏の都合の良いように切り取られているので注意が必要だ。

この判決の一番のポイントは「政党が党員に対してした処分が 一般市民法秩序と直接の関係を有しない 内部的な問題にとどまる限り、 裁判所の審判権は及ばない」というところにある。志位氏は結社の自由は憲法によって保障されている=守られているかのように主張するが、実際のところは、結社内部の問題に裁判所は介入しないと言っているに過ぎない。

「結社の自由」とは公権力の介入の禁止もしくは制限のことだから、問題となるのは公権力(政府、裁判所、警察等)の行為であり、民間の報道機関が、特定の結社に対して厳しい批判を加えたとしても「結社の自由」の侵害になろうはずがない。

志位氏が引用しなかった判決文の冒頭にはこんなことが書いてある。

「政党は、政治上の信条、意見等を共通にする者が任意に結成する政治結社であって、内部的には、通常、自律的規範を有し、その成員である党員に対して政治的忠誠を要求したり、一定の統制を施すなどの自治権能を有するものであり、国民がその政治的意思を国政に反映させ実現させるための最も有効な媒体であって、議会制民主主義を支える上においてきわめて重要な存在であるということができる」

国民の意志を反映させる媒体が政党であるならば、その政党の言動が国民に注目され、ときに批判にさらされることは当然であり、それこそが民主主義を支えているのだということに志位共産党はまったく気づこうとしない。

共産党リンチ事件、宮本顕治のトンデモ言い訳

志位氏が「松竹氏は、自らの自由な意思で、わが党の綱領および規約を認めて入党しました」とことさらに強調していることにも言及しておこう。

先にも触れた「共産党リンチ事件」(1933年12月) はスパイの疑いをかけられた党幹部二人が、宮本顕治や袴田里見ら、他の党幹部らに手足を縛られ押入れに監禁されたうえ、「査問」と称するリンチを加え、自白を強要した暴力事件だ。一人が亡くなり、民家の床下に埋められた状態で遺体が発見されている。

主犯として逮捕、起訴され有罪となった宮本顕治は、公判の中で「正当防衛」による無罪を主張し、こんなことを言っている。

「制縛して査問会の秩序を維持する事は已むを得ざるものであり正々堂々たる方針である」

「彼等といえども入党に際しては党規約に無条件服従を約しているのである。したがって党の決定により、査問される以上たとい制縛されても異議ある筈はなく、当然承諾による行為であるゆえに何等不法の行為ではないのである」

「党員は無条件服従の党規を承認して入党しているのでありますから、たとい彼等を党の決定に基づいて一定場所に留置してもその意に反して監禁したものとは言わず、しがって不法監禁にあらず」

これら宮本顕治の言葉を、今の志位氏の除名正当化の主張と重ねてみてほしい。共産党の規約=オキテの恐ろしさがわかるだろう。

松崎いたる

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