<書評>『沖縄戦後世代の精神史』 奥に見える円いプラズマ

 「50年かけて、50年前と出会う」とする批評家仲里効の新著が面白い。祖国復帰とは「何」だったのか? 戦争前夜の沖縄を不安に思う人にはぜひ読んでほしいテキストである。もし読むのが苦手なら、佐渡山豊の「ドゥーチュイムニー」沖縄歌物語だけでも良い。また、老いた同世代には記憶を取り戻すためにも読むことを勧める。何しろ仲里効が戦後の生き証人として、また旅の友として本書で紹介した人物のほとんどが、かつて私の店パピリオンに出入りした知人や先輩たちだからである。

 例えば26歳で自死した中屋幸吉と遺稿集「名前よ立って歩け」は、琉大マル研時代の悲しい思い出だが、それが1959年の石川宮森小学校米軍ジェット機墜落事故と関連していたこと。その惨状をルポした故仲里友豪が「アーサームーサー」と表現し、後に詩人として沖縄語を多用するまでになったこと。また酒に酔った故上間常道がいきなり歌に反応し立ち上がり、奇妙な動きを演じていたことなどである。それにしてもさまざまな政治的エントロピー、ナショナリズムやイデオロギーや言葉の持つ相対的価値などを万華鏡のように反転させながら、さらにその奥に見える円いプラズマ、すなわち御嶽や龍宮神信仰の絶対的平和主義に誘導する筆力に驚かされる。

 特に、今は亡き真久田正が海邦に生き、オモロを読み、『ザン』の神秘にいきついていたことなどは救いであった。彼は、71年10月19日沖縄返還協定批准国会の傍聴席で「沖縄返還粉砕」を叫んで、ビラをまき逮捕起訴された3人のうちの1人だが、翌72年2月の公判で「沖縄語裁判闘争」を展開し「本土中心主義」に抵抗した沖青同の実践家だった。しかし当時の沖縄はキャラウェイの警告も理解できず、自ら「神国」に併合されたのであった。その罪の因果は南西諸島の自衛隊配備を見るまでもないが、今からでも遅くはない。まずは、2月11日の神武天皇即位日の「嘘(うそ)」を龍宮神ザン、すなわち、辺野古の海のジュゴンによって暴くことである。

(海勢頭豊・音楽家/ジュゴン保護キャンペーンセンター代表)
 なかざと・いさお 1947年南大東島生まれ、批評家。著書に「遊撃とボーダー」「眼は巡歴する」など多数。映像関係では「嘉手苅林昌 唄と語り」の共同企画などがある。

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