母倒れ…18歳娘、弟妹も世話 「お前が母」と言った父も介護へ アナウンサーになった娘、無かった逃げ道

ヤングケアラーについて対談する町亞聖さん(中央)と清水勇人市長(左)=11日、さいたま市浦和区の子ども家庭総合センター「あいぱれっと」

 「ヤングケアラーってなに?」をテーマに、フリーアナウンサーの町亞聖さんが、埼玉県さいたま市浦和区で講演した。町さんは18歳の時から母親を10年にわたり介護した経験を語った。ヤングケアラーの支援について、「学校、介護、福祉の専門職が関われるので、救えないはずがない。守備範囲で線引きをせずに対応してほしい」と呼びかけた。

■母倒れ生活一変

 町さんが浦和市立高校(現さいたま市立浦和高校)3年の時に、当時40歳の母親がくも膜下出血で倒れ、車椅子生活となった。中学生の弟と小学生の妹がいて、父親から「お前が2人の母親」と告げられた。町さんの生活は180度変わり、母親の介護と弟妹の面倒を担うことになる。動揺したのか、最初に炊いたご飯はカチカチで、「不安でいっぱいだった。弟と妹も不安だったと思う」と振り返った。

 当事者は自身がヤングケアラーと気付いていないケースがあるという。町さんも同じで、「長女の私が担うのは当たり前と思っていた。やるしかない。逃げ道はなかった」。介護を続けた1990年代は介護保険制度もない。日本テレビを2011年に退社後、ヤングケアラーの講演を続けてきた。県やさいたま市がケアラー支援条例を制定し、「ようやく見つけてもらえたと感じている」と述べた。

 ヤングケアラーの定義は18歳未満とされている。町さんが母親の介護を始めたのは18歳で、対象とならない。町さんは「年齢で区切らないでほしい。19歳、20歳でも、同世代が当たり前に享受できる日常を送れていない若者は、年齢にかかわらずにヤングケアラーと思っている」と指摘した。

 「なぜ、私だけがこんな目に遭うのか」「助けてほしいけど、知られたくない」。当事者は複雑な思いを抱え、周囲に相談をしにくいという。「周りが気付いたら、一言声をかけてほしい。何に困っているのか、聞き出すことが重要。あなたのことを気にしているとメッセージを送れば、子どもたちに届くと思う」

■教育は社会保障

 ヤングケアラーにとって、一番の問題は進路。進学か就職で人生が大きく変わってしまう。「教育は権利であって、奪われてはならないもの。当事者にとっての社会保障で、学んだことによって自立する力を身に付けることができる」と教育の重要性を説いた。

 母親はがんを患い、自宅でみとった。「10年は長いようで、あっという間でした。母親と20年でも30年でも40年でも一緒にいたかった」。その後、父親の介護が5年続く。酒を飲むと性格の変わる父親の介護の方がが大変だったという。「後から思うと、父も誰にも相談できなかった」

 町さんの家庭は裕福ではなかったという。ヤングケアラーは親から貧困の連鎖を受け継いでいると指摘する。「どうやって断ち切るか。個人の力では難しい。周りの大人や制度によって救済されるべき。必要なタイミングに必要な支援が必要」と述べた。

 町さんの講演後、清水勇人市長との対談が行われた。清水市長は市の支援制度や相談体制を説明。町さんの話を引用して、「役割を持つ人が領域を踏み越えて、連携することが重要。見えないところで困っている子どもたちがたくさんいる。行政サービスにたどり着けるようにしていきたい」と話した。

© 株式会社埼玉新聞社