「富士山って誰のもの?」実は…家康公の思惑が見え隠れ【ものしリッス】

2月23日は「富士山の日」です。そこで今回「ものしリッス」のテーマは、「富士山は誰のもの?」です。富士山のお膝元富士市で聞きました。

<街の人は>

「え?静岡県のもの?みんな?みんなのもの?」

「日本人みんなのものじゃないですか?」

「誰のものでもない。静岡県と山梨県の山?」

「富士山は、一番てっぺんは、富士宮の浅間大社だっけ?てっぺんじゃないところは、静岡県か、山梨県かな」

答えを求めて、リス君は富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)にお邪魔し、権禰宜・福井宏和さんに聞きました。さっそくですが、福井さん富士山は誰のものなんですか?

<富士宮本宮浅間大社権禰宜 福井宏和さん>

「富士山の8合目から上は、この富士山本宮浅間大社の土地だよ」

そうなんです。さっきの女の子の言う通り、8合目から上は「富士山本宮浅間大社」のものだったんです。この富士山の持ち主の歴史には、あの「家康公」が大きく絡んでいるんです。

江戸時代、富士山の噴火口に賽銭を投げる人が多くいました。その賽銭を徳川家康公が自分が作った富士山本宮浅間大社の社殿の修理料として使おうと、富士山の頂上を浅間大社の敷地と定めたのです。

江戸幕府が発行した「幕府裁許状」に書かれているのは…。

<富士宮本宮浅間大社権禰宜 福井宏和さん>

「『富士山八合目より上は大宮持ちたるべし』ということで、8合目より上は、浅間大社の土地と書いてあります」

その後、明治時代に一度、国有地となりますが、1974年の最高裁判所の判決により正式に浅間大社の土地と認められました。

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