日本ツアー参戦から12年 イ・ボミの足跡を写真で振り返る

次なるステージへかじを切る(撮影/和田慎太郎)

イ・ボミ(韓国)が今季限りで日本ツアーから引退することを表明した。2011年の日本参戦から昨季までの11シーズンで21勝、2度の賞金女王に輝いた“スマイルキャンディ”の足跡をたどった。

“スマイルキャンディ”日本上陸

2011年「ワールドレディスチャンピオンシップサロンパスカップ」最終日のイ・ボミ(撮影/内田眞樹)

20歳だった07年に韓国でプロ転向し、10年に韓国ツアー賞金女王。愛くるしさ、強さを兼ね備え、“スマイルキャンディ”と呼ばれた。同年に日本ツアーの最終予選会(QT)を突破し、11年から参戦して出場14戦で賞金ランキング40位となり、初シードを獲得した。

2年目でブレーク

日本ツアー初優勝は2012年のとき(撮影/中野義昌)

参戦2年目の12年に開幕2戦目「ヨコハマタイヤPRGRレディス」で日本ツアー初優勝。最終戦の国内メジャー「LPGAツアーチャンピオンシップリコーカップ」を含む年間3勝で賞金ランク2位と躍進する。

日本ゴルフ界史上最高額のマネークイーン

日韓両ツアーの賞金女王になった(撮影/大澤進二)

15年に初の賞金女王を戴冠した。史上5人目の年間7勝を挙げ、年間獲得賞金2億3049万7057円は女子ゴルフ史上初の2億円台、男子も含めて国内プロゴルフ史上最高額(当時)だった。日韓両ツアーで女王となった選手は初めて。前年14年の「日本女子プロ選手権」中に急逝した父ソクジュさんとの“約束”を果たす快挙となった。

6人目の2年連続女王

2年連続でトップの座を射止めた(撮影/大澤進二)

16年は年間5勝で2年連続賞金女王に輝く。樋口久子、ト阿玉(台湾)、平瀬真由美、福嶋晃子、不動裕理、アン・ソンジュ(韓国)に続く史上6人目の偉業。同年の平均ストローク70.0922はツアー新記録(当時)で、予選落ちは14年から3年連続でなし(棄権は2試合)。パーオン率が来日2年目から5年連続2位以内というショットメーカーが驚異の安定感でトップに君臨した。

ショットが乱れ、スランプに

苦しい時期が続いた(撮影/内田眞樹)

樋口久子、ト阿玉(台湾)、不動裕理に続く3年連続賞金女王のかかった17年は、スイングの不調に苦しんだ。8月の「CATレディース」でツアー通算21勝目を挙げたものの年間1勝止まり。精密さを誇ったショットが乱れ、13年以来の予選落ちは4度を数えた。パーオン率は68.1992%で部門別ランク24位、賞金ランク24位。翌18年にはトップ10が1試合もなく賞金ランク83位と落ち込み、賞金シードを失った。

俳優イ・ワンさんと結婚

左薬指には指輪が光る ※写真は2022年「Tポイント×ENEOS」(撮影/村上航)

19年12月に母国で韓国人俳優イ・ワンさんと結婚式を挙げた。同年は国内メジャー優勝などで得ていた特別シードで参戦して賞金ランク21位と、賞金シードに返り咲き。イ・ワンさんがしばしばコースへ応援に駆けつけており、フィアンセの存在が大きな支えになっていた。

コロナ禍でツアー出場大幅減

フル参戦とはならず賞金シードを再び喪失した(撮影/大澤進二)

ミセスプロとなった20年は新型コロナウイルス感染拡大により、21年と合併する変則シーズンに。コロナ禍で来日がままならず、開催全52戦で出場は28戦だけ、賞金ランク82位と再び賞金シードを喪失した。ノーシードの2022年は主催者推薦を中心に出場は14試合にとどまり、賞金に変わりシード基準となったポイント制のメルセデスランクは104位だった。

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