第五福竜丸と被爆地

 「戦後、長崎から上京した人」という設定だろう。映画の中で女性がぼやく。〈やあね。原子マグロと放射能雨。東京湾にでも上がり込んできたらどうなるの。せっかく長崎の原爆から命拾いしたのに…〉▲69年前の特撮映画「ゴジラ」のひとこまだが、公開は原爆投下から9年後。〈せっかく命拾いしたのに〉とは、架空のせりふであっても生々しい響きがあったろう▲公開は、静岡県焼津市から出港した第五福竜丸の被ばくから、たった8カ月の頃でもある。太平洋・マーシャル諸島での米国の水爆実験で、そのマグロ漁船は「死の灰」を浴びた▲この船に限らず、近海にいた多くの船で魚が放射能汚染された。水揚げされても競りはなく、魚の価格は暴落する。放射能を帯びた「原子マグロ」の名も、当時は誰もが知る、生々しい一語だったに違いない▲水爆実験で目覚めたゴジラが東京で破壊の限りを尽くす。「核」の恐怖を映す映画に着想を与えた第五福竜丸事件は、きょう3月1日に起きた▲誰も語らず、皆が忘れたら、あの無残な出来事が「なかったこと」になる。だから語る。体験を子どもたちに語り続け、おととし亡くなった元乗組員、大石又七さんにそう聞いたことがある。「胸に刻み続ける」。被爆地と第五福竜丸は同じ言葉でつながっている。(徹)

© 株式会社長崎新聞社