血痕は「赤いのか?」「黒いのか?」袴田事件最大の争点“5点の衣類”に残る赤み【現場から、】

再審=裁判のやり直しの可否の判断まで2週間を切った袴田事件。今回の審理、最大の争点は血痕は「赤いのか?」「黒いのか?」です。

<支援者とのやりとり>

「はい、どうぞ。おつかれさま」

2023年2月27日、この日も支援者の車でドライブした袴田巖さん。3月10日、87歳の誕生日を迎えます。浜松で暮らす袴田さんですが、死刑囚の肩書をいまも背負ったまままです。

1966年、旧静岡県清水市(現静岡清水区)のみそ製造会社で一家4人が殺害されたいわゆる「袴田事件」。逮捕された袴田さんは、1980年に死刑が確定。犯行時に袴田さんが着ていたとされる通称「5点の衣類」が、事件発生から1年2か月後、裁判が始まったあとに見つかるなど、不可解なことが多く、長年、えん罪が疑われてきた事件です。

「再審開始です」

2014年、静岡地裁が再審の開始を決定。48年ぶりに袴田さんを釈放しました。釈放から9年が経ちますが、検察が即時抗告したため、審理はまだ続いていて、3月13日、東京高裁が再審の可否を判断します。

今回の審理、最大の争点は、血痕は「赤いのか?」「黒いのか?」です。

事件発生から1年2か月後にみそタンクの底付近から麻袋に入った状態で見つかった5点の衣類」。この衣類に付着した血痕の色について、当時の捜査資料には「濃赤色」「赤褐色」と書かれています。これについて、弁護団は1年2か月もみそにつかりながら、血痕に赤みが残るのは「不自然」として捏造された証拠だと主張してきました。

旭川医科大学の奥田勝博助教は、弁護団の依頼を引き受け、実験を行いました。チューブに入っているのは血液、ここにみその成分・酸を加えます。

<旭川医科大学 奥田勝博助教>

「塩酸を薄めたものを入れます。そうすると、黒くなったのが分かると思うんですけど」

血液は酸と混ざった瞬間から黒くなりました。

<旭川医科大学 奥田勝博助教>

「今回の場合は強い酸を使ったので、非常に短期間で赤みを失ったんですけど、みそのような弱い酸や高い塩分濃度だと赤みの成分であるヘモグロビンがゆっくりと酸化していく」

一般的なみその条件だという弱酸性かつ、塩分濃度10%の環境下での血液の色の変化です。1日目、7日目、11日目と、時間が経つごとに血液の赤みは消え、どんどん黒くなっていくといいます。このメカニズムに加え、さらに、みそタンクで起きるであろう「メイラード反応」によって、さらに黒くなっていくはずだといいます。

奥田助教がいう「メイラード反応」とは、血液中のたんぱく質とみその中の糖が触れることによって、長時間かけて黒くなる化学反応です。

<旭川医科大学 奥田勝博助教>

「1年2か月という時間は染みこむまでには十分すぎる時間」

一方、検察側も血液がついた布を1年2か月みそにつける実験を行いました。検察は「血痕の一部には顕著な赤みが残り、長時間みそにつけられても、赤みが残る可能性は十分に認められる」と弁護団の実験とは、逆の結果が出たと主張しました。

<袴田事件弁護団 小川秀世事務局長>

「赤みがもともと残っていた5点の衣類が、実際に1年2か月も漬けると赤みは全く消えていて明らかに違う。証拠として、事件と関係ない着衣を入れたということで、まさにねつ造を裏付けることになったといえると思う」

検察側は、さらに弁護団の実験の条件について、「酸素が乏しいとされるみそタンクの環境を考慮していない」と指摘しました。これに対して、奥田助教はこう反論します。

<旭川医科大学 奥田勝博助教>

「もともと麻袋の中に衣類が入れられていたということで、袋の隙間とか衣類の繊維の間に、空気が入っていたと思いますし、酸素は低い濃度ながらありますので、血痕の色調変化をさせる十分な酸素はあった」

みそタンクの中も、5点の衣類の入っていた麻袋の中も、“無酸素”という状況はありえないとしました。

東京高裁は、血痕を「赤い」とみるか、「黒い」とみるか。再審の可否は3月13日に示されます。

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