あの時、後ろ姿の被災者たちは何を思っていたのだろうか? 1枚の写真を手に若手カメラマンが初めて訪れた東日本大震災の現場

津波に襲われた岩手県大船渡市の市街地。立ち尽くす住民の後ろ姿が写る=2011年3月11日(村田友裕さんが高台にある加茂神社から撮影)

 岩手県大船渡市の市街地を、東日本大震災の津波が襲う写真。そこには、壊れていく町を見つめる人たちの背中が写る。フェンスにもたれる人、そっと抱き合う人。当時中学3年生だった筆者の心に残るのは、繰り返しテレビ画面に映される津波より、その後ろ姿だった。古里を目の前で失う時、どんな思いだったのか。震災から12年。1枚の写真を手に初めて訪れた被災地で、撮影者の男性や、祖父を亡くした女性と出会い、あの日の記憶をたどってもらった。(共同通信=古橋遥南)

 ▽無機質な町並み

 岩手県大船渡市の犠牲者は340人に上り、今も79人の行方が分かっていない。商店や住宅があった中心部は壊滅的な被害を受け、住宅は高台などに移転した。現在はかさ上げされた土地に商業施設が集まる。

 昨年12月中旬、初めて岩手県大船渡市を訪れた。写真が撮影された高台から市の中心部を見渡すと、やけに広い駐車場が目立つ。虫食い状態の町並みはどこか無機質に感じた。海と町の間には高さ約7メートルの防潮堤がそびえる。何を思えばいいのか分からず、あの日、この高台に立ち尽くした人たちを想像した。

震災後に整備された公園で遊ぶ親子連れ。後ろには防潮堤がそびえる=1月11日、岩手県大船渡市

 ▽レンズ越しに見た、倒壊する自宅

 撮影した村田友裕さん(70)は、顔をしかめながら話す。「あの日を思い出すのは、心の底にたまっている泥をかき回される感じだよ」。印刷・撮影業を営む村田さんは、持ち出したカメラのシャッターを夢中で切った。筆者が見た写真は、何も考えずに「ただただ撮った中の1枚」。笑って帰れると思っていた自宅はあっという間に倒壊し、レンズ越しにその瞬間を見た。波がすべてをさらったあと、静寂が残された。「その中で車のクラクションだけが鳴っていてね。鉛色の空で、わびしかった」

村田友裕さんが撮影した震災当時の写真=1月12日、岩手県大船渡市

 あの日、50人近くが同じ場所から津波を見ていたという。その1人、佐藤政夫さん(67)は、高台への階段を上りながら妻と交わした会話を覚えている。「沿岸の人が被災したら家に呼ぼう」。しかし、想像をはるかに超えた津波は、海から約10キロ離れた自宅まで到達した。

岩手県大船渡市の大船渡中から見た町並みと村田友裕さん=2月11日

 「『こっちゃこ、こっちゃこ』って、まだ下にいる人に気仙弁で叫んだ。でも、海の方からメリメリ、バキバキすごい音がして、届かなかった」。高台でビデオを回していた佐藤さんは、誰かの家のベランダに干してあった洗濯物を、無意識にズームアップしていた。「妙に気になってしまってね。目の前で生活が流れていくんだ」。ついさっきまであった暮らしが、一瞬にして消えていった。

岩手県大船渡市を襲った津波=2011年3月11日(佐藤政夫さんが高台にある加茂神社から撮影)

 ▽この土地が好き

 大船渡湾を望む公園には、市内の犠牲者を追悼する鐘があり、週末は親子連れでにぎわう。筆者と同じ1995年生まれの小向志枝さん(28)も、娘の莉愛さん(7)とよく訪れる。美容師のアシスタントとして働いていた関東から、約8年前に地元に戻った。小向さんはその理由を話す。「ゼロから、むしろマイナスから、自分が育った町がどう変わるのか見たかった。いなければここに何があったか、もっと忘れてしまいそうで」。娘に自分の古里を伝えたい思いもあった。

公園で自転車の練習をする小向さん親子=2月12日、岩手県大船渡市

 あの日は春休み中で、友達と外で遊んでいた。市の中心部から海に行こうとした時、地震が起きたという。近くの小学校に避難し、家族を思って不安な一晩を過ごした。翌日になって再会できた父が「よかった、よかった」と、涙を浮かべる姿を覚えている。
 津波を目にすることはなかったが、映像を見るだけで今でも寒気がする。「嫌な経験はしたけど、結局はこの土地が好きなんです」。小向さんは続ける。「昔の町は戻らないけど、震災前よりもいい町になってほしい。これで終わりじゃない」

 ▽重ねてきた月日

 小向さんは、隣の陸前高田市に住む祖父を津波で亡くした。祖父が見つからない間、母からかけられた言葉に胸が張り裂けそうになった。「じいちゃんは、志枝と友達の分まで背負ってくれたんだよ」
 祖父が営んでいた喫茶店「ぽすと」は、昔ながらの小さな店で地元の人に愛されていた。小向さんも、祖父が作るナポリタンが大好きだった。店があった場所はかさ上げされ、今は雑草が生い茂る。
 今でもずっと気になっていることがある。「じいちゃんはどこに避難したのか、最後に何を思ったのか」。安置所で傷だらけの祖父を見るのが怖く、最後のお別れができなかった。「元気な姿を記憶にとどめたかったけど、それが正しかったのか今でも分からない」。小向さんが、あの日から重ねてきた月日を思った。

海近くの公園で笑顔を見せる小向志枝さん(右)と娘の莉愛さん=1月12日、岩手県大船渡市

 ▽忘れそうだった記憶

 かさ上げ工事後は喫茶店の跡地が分からなくなり、足が遠のいた。取材を機に久しぶりに家族で訪れた。変わり果てた風景を前に、小向さんの記憶がよみがえる。「ここに来て、思い出すことがたくさんあった」。祖父と一緒に、白鳥にパンの耳をあげたこと。カウンターの奥でカレーやナポリタンを作る祖父の姿、油汚れのある古いキッチン…。考えないまま年を重ね、忘れてしまうかもしれなかった。「これからこの近くを車で走るたび、じいちゃんの店の光景が浮かぶ気がする。思い出させてくれて、ありがとうございます」

祖父の喫茶店「ぽすと」の跡地を訪れた小向志枝さん=1月11日、岩手県陸前高田市

 中学3年生だった筆者が、あのとき思いを巡らせた後ろ姿の住民たち。今の静かな暮らしの中に、それぞれが重ねた12年の歳月があった。古里や、大切な人を失った彼らの記憶を分けてもらうと、無機質に思えた町の景色に、最初よりずっと親しみを感じた。

岩手県大船渡市大船渡町の夕景=1月13日

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