「背番号7」なのに違和感があったスター7人

今日は3月7日。ということで、意外な背番号7を背負った選手たちをあらためて取り上げてみよう。

ジョアン・カンセロ

ジョゼップ・グアルディオラ監督が率いるマンチェスター・シティで偽サイドバックとして大ブレイクしたポルトガル代表DF。

サイドバックではあるが、アタッカー並のアタッキングセンスを備える。

バレンシアとインテルでも7番を背負い、今季からシティでも7番に変更したが、シーズン途中にバイエルンにローン移籍。新天地では22番を背負っているが、ドイツでも出場機会を失いつつある。

なお、クリスティアーノ・ロナウドが絶対的7番に君臨してきたポルトガル代表では20番を着用。

ドゥシャン・ヴラホヴィッチ

昨年1月にユヴェントスが7000万ユーロ(90億円)で獲得したセルビアの大型ストライカー。

前年までクリスティアーノ・ロナウドが背負っていた7番を受け継ぐことになったが、「正直、7番は自分にとっては何の意味もない。この番号を選んだのは、9番に一番近かったからさ」と説明していた。

実際、ユーヴェ2年目となった今季からは背番号を9に変更している。

ぺぺ

40歳になった現在もポルトでバリバリプレーするブラジル出身のポルトガル代表DF。

マリティモからポルトに移籍した1年目の背番号がなぜか7だった。

ブレイクした2年目に14番、3年目からはお馴染みの3番に変更。レアル・マドリーなどを経て復帰した現在も3番をつけている。

ピッチ上では強面ながら、「ポルトガルに来る17歳までは母親と一緒に寝ていた」とマザコンだったと告白している。

ルーカ・ブッチ

1994年のワールドカップにも出場した元イタリア代表GK。

180cmと小柄ながら、スキルとインテリジェンス、安定した足技を兼ね備え、ヂダ以上のGKと評価されたことも。

2005-06シーズンのパルマで7番を着用した。なお、中田英寿がパルマで7番を背負ったのは、2003-04シーズンのこと。

当時のイタリアではGKが謎の番号をつけるのが流行しており、ブッチはパルマ時代に5番も着けている。

アンディ・キャロル

かつてリヴァプールでもプレーした元イングランド代表の大型ストライカー。

9番タイプながら、2019年に古巣ニューカッスルに移籍した際に7番を着用した。

34歳になった現在は英2部レディングでプレーしているが、なんと背番号は2!

9番が空いてなかったため、クラブは2、20、26、27番あたりを打診。キャロルは子供たちの送り迎えをしており、ちょうどその日が娘さんの2歳の誕生日だったため、子供たちが2番を選んだのが理由だ。

リッキー・ランバート

工場で働きながら下部リーグでプレーし、イングランド代表にまで成り上がった苦労人FW。

190cm近い長身で9番タイプだったが、吉田麻也ともプレーしたサウサンプトンでは7番をつけ続けた。

セインツを3部からプレミアに引き上げた英雄になると、32歳にして古巣でもあるリヴァプールに凱旋移籍を果たす。ただ、背番号9を背負ったレッズでは36試合で3ゴールと不発。

後に「リヴァプール行きを決断した際、トップチームでのレギュラーの地位を犠牲にした。そして、その時から(サッカーへの)愛が冷め始めた。ベンチに座ることを決して受け入れるべきではなかった」と後悔の念を口にしている。

エンゴロ・カンテ

小柄ながら驚異的な守備センスを武器に世界一のボランチになったフランス代表MF。

岡崎慎司らとともにレスターのプレミアリーグ優勝に貢献した後に引き抜かれたチェルシーで7番を背負ってきた。

彼以外にもブルーズの7番はスコット・パーカー、ラミレス、ディディエ・デシャンら守備的MFたちが着用している。ちなみに、フランス代表では13番で定着。

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ハムストリングの故障で長期離脱となっていたが、5か月ぶりに練習に復帰しており、ピッチに戻ってくる日も近そうだ。

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