U2の名曲「Beautiful Day」を振り返る:新録アルバム発売記念連載企画

2023年3月17日にリリースされるU2のニュー・アルバム『Songs Of Surrender』は、彼らの40年を超えるキャリアを通して発表してきた最も重要な40曲を、過去2年間に行われたセッションで2023年版として新たな解釈で新録音したアルバム。

このアルバムの発売を記念して、U2の名曲を振り返る記事を連載として公開。元ロッキング・オン編集長であり、バンドを追い続けてきた宮嵜広司さんに寄稿いただきます。第4回は「Beautiful Day」。

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1. 楽曲発売当時のバンドの背景

1990年代のU2は『Achtung Baby』(1991年)、『ZOOROPA』(1993年)、『POP』(1997年)と、俗に「ポップ三部作」と呼ばれるトリロジーを発表した。それは1980年代の「誠実で愚直なイメージ」だったU2が跡形もなくなるほどの大変身を意味していて、ボノは悪魔になったり(「マックフィスト」)、バンドはレモン型の宇宙船の搭乗員となったりと(『POPMART Tour』)、それまでの既成概念が崩壊しメディアツールの発展とともに加速していた仮想現実とリアルがごちゃまぜになったような当時の世界状況を過剰に反映させた表現を展開していた。

実際、この大変身は広く支持され、1990年代最後を飾った『POPMART Tour』は1997年4月から1998年3月までの約1年間で93箇所を周り300万人を集め、ツアー歴代最大観客動員数を記録したバンドとして当時のギネスブックにも掲載された(ちなみにこの記録を塗り替えるのは、同じくU2が2009年から2011年まで行った「360 Tour」だった)。だからそれは彼らにしてみれば「狂騒の30代」だったとも言えるだろう。そして時代は2000年を迎えようとし、彼らは40代になろうとしていた。

バンドはツアー後の1998年4月に故郷アイルランドに戻っている。同月に南北アイルランド和平合意協定(聖金曜日協定)がなされ、翌5月には南北アイルランド双方で国民投票が行われ合意が承認されるに至っている。実はその歴史的和平にU2も一役買っている。プロテスタントのアルスター党党首デイヴィッド・トリンプルとカトリックの穏健派代表ジョン・ヒュームとともにボノはあるイベントに出席し、両者が握手する瞬間を演出している(のちにふたりはノーベル平和賞を受賞している)。

世界中の混乱を丸ごと反映させたかのように1990年代を過ごしたU2は、その終わりに故郷に戻り、ふるさとで長らく続いてきた対立がひとつの和平を結ぶ場面に立ち会った。プライベートでいうと、ボノは良い関係を築けないままだった父親にガンが見つかり、自身もかねてから思わしくなかった喉の調子などもあって、死を意識するようになっていた。一方、妻のアリが懐妊し新しい生命の誕生に心踊らせてもいた(ふたりにとって最初の男子は1999年8月17日に生まれている。後にInhalerのヴォーカル/ギターとしてデビューするイライジャ・ヒューソンである)。ジ・エッジにも1999年10月25日に息子リーヴァイが生まれている。彼らの人生には、これまでとは違った変化が訪れていたと言っていいだろう。

「もしかしたら失っていたかもしれないすべてのものに対して、ありがたみを感じるようになった」「いずれにせよ人間の本質的なものをテーマにしたアルバムを作るべき時だって気がしたんだ」(ボノ)

「『POP』の最後にひとつ明らかになったのは、僕らがロックンロール・バンドのフォーマットの解体を、最大限のレベルまで推し進めたってことだ。でも僕らは、もう一度バンド・サウンドを聴きたいと感じるようになっていたんだ」(ジ・エッジ)

U2としてはおそらく初めてだっただろう、次のアルバムはデッドラインなしで「とにかく11曲の素晴らしい楽曲が完成するまで絶対出さない」ということだけ決めて始めたそうである。もうひとつは、かつてのように4人のバンドが一体となってレコーディングすること。この時期のU2は、原点を見つめ直しながら、20世紀をどう総括し、来たるべき21世紀という新章をいかに迎えるべきかに思いを巡らせる季節にいたと言えるだろう。そこにはもちろん、もはや悪魔はいなかったし、レモン型の宇宙船を飛ばす必要もなかった。乱暴に言ってしまえば、このときのU2は、等身大のヒューマニティを奪還しようとしていたのだと思う。

そして通算10作目となるアルバム『All That You Can’t Leave Behind』(2000年10月30日発売)へのリード・シングルとして2000年の10月9日に発表された「Beautiful Day」は、そんな彼らが自然体で発露した、ロックンロールの原点そのもののような曲だった。

フランスのシャルル・ド・ゴール空港で撮影されたこのMVでは、空港という「往路」と「帰路」が強調され、時代の境目に行き交う人々を描いている。U2も同様で、金色のジャケットを着た(つまり1990年代の過剰だった)ボノが、搭乗口前のベンチでくつろぐ普段着のバンド4人を眺めるシーンにあるように、新しい旅の始まりを(それがとてもナチュラルなものだということも合わせて)予感させている。

男女の口づけや、女性客からりんごをかすめてそれを齧るボノなど、聖書的な「ヒューマン」を想起させるイメージもそこにはある。しかし、それは単なる回帰や後退でないことは、その背景となっている空港の先鋭的なモダニズムが同時に映し出されていることからもわかる。この楽曲とMVで、U2はこのときの自分たちの心境とこれからの姿勢を明確に示していたと言えるだろう。

2. この曲が伝えてきたものとは?

「Beautiful Day」でジ・エッジは(MVでも確認できるように)ギブソンのエクスプローラを弾いている。それは1980年のデビュー・アルバム『BOY』収録「Out of Control」などで弾かれていた、いわば初期U2のサウンドを決定づけたギターだった。しかし『WAR』(1983年)以降はレコーディングで使われることはなかったという。常に新しいサウンドを追い求めていたU2は、過去の彼らを象徴したこのギターをいわば封印していたのだ。

どこまで過去の自分たちから遠くまで行けるかーー。そこに挑戦していた1990年代のU2の挑戦を終えたとき、ジ・エッジがわざわざこのギターを持ち出してきたことには見過ごせない意味があるだろう。かつての自分たちのトレードマークを思い返すには、世紀が変わるそのタイミングがベストだったのだ。

しかし繰り返しになるが、「Beautiful Day」には単なる回顧趣味ではない、革新的なアイデアが随所に散りばめられてもいる(この曲のレコーディングには全編ドラム・マシーンが使用されている)。ダイレクトでストレートなロック・ソングを骨格としたそこに新世紀を迎えるモダンなアレンジも巧妙に忍ばせていた「Beautiful Day」は、40代を迎えようとしていた彼らの音楽家としてのレベルが数段上がったことこそ示していたと思う。実際この曲は翌年に行われたグラミー賞授賞式で最優秀レコード賞(「Record of the Year」)、最優秀楽曲賞(「Song of the Year」)をダブル受賞する栄誉に輝いている。

「すべてのものに対して、ありがたみを感じる」=等身大のヒューマニティの奪還。それがこの時期のU2のテーマであり、そんな思いが満ち満ちていたアルバム『All That You Can’t Leave Behind』の中でも「Beautiful Day」はとりわけそのエモーションがストレートに表出された楽曲だった。今作を引っ提げたツアーは、それまでの装飾過多な巨大スタジアム・ライヴから一転、ただ演奏者がいるだけのアリーナへとダウンサイズし、観客との距離をいっきに近づけた。ステージからは一本の赤い花道が一部の最前席を囲むようにせり出されていて、その形は「ハート」だった。

© Dmolavi (Licensed under CC BY 4.0)

このツアーの最中に、ボノはガンで闘病中だった父親ブレンダン・ロバート・ヒューソンを亡くしている(2001年8月21日)。ツアーの合間を縫って、ボノは解り合えたとは言えなかった父親の最期を病室で寝泊まりしながら看取っている。それでも、このツアーのいったんの千秋楽となった、地元ダブリンはスレーン城でのパフォーマンスは(9月1日)、歌の終わりでボノが「Beautiful GOAL !」と歌うほど、ある種の多幸感を感じさせるものになっていた(というのもその日の日中に行われた2002年日韓W杯の欧州予選でアイルランド共和国代表が強豪オランダ代表とホームのダブリンで対戦、MFジェイソン・マカティアのゴールで1-0で勝利するという快挙があったからだ)。

そこには喜びも悲しみもともに携えながら新しい世紀を生きていこうというような、それでも今日は「美しい日」だと言えるような、人間への強い肯定があったと思う。

しかし、誰もが知っての通り、それからたった10日後の「9月11日」、アメリカ合衆国を「同時多発テロ」が襲う。

いまでもあの日の光景は鮮明に思い出すことができるし、その瞬間から、一切のエンターテイメントがリアリティを失い、人々を勇気づけたり寄り添ったり目覚めさせたりする力をなす術なく失っていった様も思い出すことができる。

ここであえて極論めいたことを言うなら、U2がこのとき「ヒューマニティを奪還する」アルバムを作り、それでも到来する今日を「美しい日」と歌う(歌える)楽曲を持っていたことは、何かの運命だったと感じたくなるのだ。というのも、そのときわたしたちにとって大切だったのは、まさにそういうことだったからだ。

U2は、あたかもそれに応えるかのように、すべてのエンターテイメントがストップしていた、まだ事件からたった1ヶ月しか経っていない2001年10月10日に「Elevation Tour」を再開させる。そして年が変わった2002年2月、まだ傷の癒えない中で行われたアメリカ最大の「お祭り」スーパーボウルのハーフタイムショウに彼らは出演する。全米で最高の視聴率を誇るそのショウで披露された1曲目が「Beautiful Day」だった。

「Beautiful Day」の後、ガンジーの影響を受け非暴力による公民権運動を推し進めたキング牧師に捧げた「MLK」、そしてU2の楽曲中もっともエモーショナルな「Where The Streets Have No Name」へと演奏は続けられる。バンドの後方に大きなバナーが掲げられていく。そこに記載されていたのは、9.11で亡くなった人々の名前である。ツアー同様に設置されたハート型の花道を駆け回ったボノは「Where The Streets Have No Name」の曲中、胸の前で両手をハートの形にしてみせる。いまこのときに大事なものが何かを何度も示唆するためである(ちなみにアメリカのメディア『Rolling Stone』はこのU2のパフォーマンスをこれまでの歴代のハーフタイムショウ史上、2番目に最高だったと讃えている)。

「Beautiful Day」はまず新世紀を迎える世界と自分たちがあらためてヒューマニティを奪還し、それを肯定するものとして歌われた曲だった。

しかし、それでももちろん悲劇は無くならなかったし、実際に「9.11」は起きた。

けれど、だからこそ、逆説的に「Beautiful Day」はもう一度、その意味を持ったのだと思う。

新しい日を美しいと呼べる人間をいまこそ信じるために、この曲は再び力を持ち、その意味をあらためて問い直したのだと思うのである。

3. 新作で新録された音源は何がどう変わったのか?

ダイレクトでパワフルなロック・ソングである「Beautiful Day」は、世界が折れそうな時にこそ何度でも歌われるべきエネルギッシュな歌だと思うが、今回の「reimagined」バージョンでは、その他の『Songs of Surrender』の楽曲同様に内省的な表情になり、骨太だったバンド・サウンドから音響的な作りへと変わっている。一聴して分かる通り、ドラムに相当する部分が「reimagined」バージョンでは設置されていないために、よりそう感じさせるだろう。

しかしそうなったことで、オリジナルに内包されていたこの楽曲のメッセージの崇高さが、「reimagined」バージョンではよりくっきりと際立った感がある。言ってしまえば、聖性が増したということになるだろうか。

なるほど、歌詞も大幅に改定された箇所があって、それは前半と後半をつなぐ中盤の部分になるのだけど、「reimagined」バージョンではまるで聖書の一節を引用したかのような表現へと変更されている

世界は君の青い部屋だった
七つの海が月を飲み込んでいた
フィングラスの東、エデンの北
笑いは自由の証
アダムはイブに許しを請うていた
神を園から追い出したのは女じゃない
葉っぱをくわえた鳥が見える
洪水のあとではあらゆる色がくっきりだ

今回もっとも強調されていたと感じたのは、「Don’t Let It Get Away / みすみす逃さないで」というフレーズがオリジナルよりも繰り返し歌われていたことで、

今日この日を美しいと感じる力を決して絶やさないようにという思いがいっそう強まったのだろうと感じさせる。そこにこそ、まさに人間の原点があるのだと歌っているかのようである。

Written By 宮嵜 広司

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