〈東日本大震災から12年〉トルコ地震被災地でも活動、上越消防署特別救助隊 岡田俊介副隊長 建物のがれき幾層も 懸命の救助活動阻む

 今年2月6日にトルコ南東部で発生した地震で、日本の国際緊急援助隊救助(JDR)チームの一員として上越消防署特別救助隊副隊長の岡田俊介さんはトルコ南部のカフラマンマラシュに派遣された。できる限りの装備品の準備や情報収集が行われたが、被災地ははるか悲惨な状況だったという。

トルコ南部のカフラマンマラシュの災害現場。ほとんどの建物が真下までつぶれていた(JICA提供)

◇一面がれきの山 困難極める活動
 岡田さんら一行が現地に着いた7日は、辺り一面がれきの山から重機で破片を撤去、要救助者を捜索している状況だった。1次隊から活動を引き継ぎ、岡田さんらはすぐに活動を開始した。「崩れた建物はほとんどが天辺から真下まで完全につぶれていた。建築関係の人が『日本では考えられない崩れ方だ』と言っていた」と被害のすさまじさを語った。
 JDRは高度な資機材を多数導入している。通常の現場では、まず捜索犬でがれきの中の危険箇所や要救助者を探し、犬を連れるハンドラーがそのほえ方などから判断。地中音響探知機で大まかな場所を特定し、がれきに穴を開けて画像探索機を差し込み、要救助者の位置を確認。それから救助活動に当たる。
 しかし今回の地震災害では、建物の天井から床までが重なって崩れる「パンケーキクラッシュ」が多く、それが救助活動を阻んだ。分厚いがれきを掘削すると、同じようながれきが幾層も重なっていた。さらに、相次ぐ余震で現場から避難、場合によっては現場そのものを放棄しなければならず、「安全な場所がどこか分からず、作業は遅々として進まない。いつ建物が崩れるか分からない、恐怖との闘いだった」と岡田さんは振り返った。
◇チーム全体が「助け出す」一心
 最少限の休息や食事を取りながら、作業を続けること30時間。岡田さんらはようやく野営地で一息ついた。しかしテント内は寒く、2、3時間で目が覚めるほど。そんな中で仲間たちとの会話が何よりの心の支えだったという。「JDRは消防、警察、海保などからプロフェッショナルが集まっている。チームメンバーとの世間話などは心が落ち着いた」

JDRの野営地。チーム内での会話は、心を落ち着かせる貴重な時間だったと岡田さんは振り返る(同)

 岡田さん自身も、東日本大震災での活動を思い出した。「技術より、地震災害と対峙(たいじ)する心構えが大きかった」と話し、「『何としても助け出す』と(自分に)言い聞かせて活動した。この思いはチーム全体が同じで、最後まで士気は高かった」。
◇常に正しい知識備え 大切に継承
 帰国後、岡田さんはトルコでの活動を資料にまとめ、日々の訓練でも体験したことを他の隊員に語っている。「二つの地震は想定をはるかに超えていた。自分たちが知識として伝えていきたい」と思いを込める。また、いずれの地震も最初の揺れから避難した人の多くが助かったことにも触れ、「常に正しい知識、備えが重要。最大被害を想定した活動を心掛けたい」と話した。

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