チェコ代表「史上最強の10選手」

ついに開幕したワールド・ベースボール・クラシック。

本日、日本代表と闘うのは、予選を勝ち抜いて本戦出場を掴み取ったチェコだ。

ここでは、以前紹介したサッカーチェコ代表の史上最強10人を振り返ってみる。

パヴェル・ネドヴェド

誰が選んでもチェコの歴代最高の選手はネドヴェドになるはずだ。

もしかしたらチェコで最も有名な名詞かもしれない。全盛期のイタリア・セリエAで長くトッププレーヤーとして活躍し、2003年にはバロンドールも受賞。

バロンドールに輝いたチェコ人選手は彼を含めて史上2名しかおらず、そして、彼のようなプレースタイルを持つプレーヤーも未だ存在しない。

無尽蔵の運動量に見事なドリブルとクロス、そして強烈なシュートまで持っていた。まさに「ミスターパーフェクト」だった。

ペトル・チェフ

チェコ最高のゴールキーパーを選ぶ時に、イヴォ・ヴィクトルを入れられないことはとても心苦しいものだ。

しかしながら、プレミアリーグ発足後最高クラスの守護神であったチェフを抜くことは絶対にできない。

22歳でチェルシーに加入した彼はプレミアリーグを4回制覇し、チャンピオンズリーグでも優勝。後にベテランになってからアーセナルへと移籍し、そこでも数年間素晴らしいプレーを見せた。

ヨゼフ・マソプスト

バロンドールを獲得したチェコ人選手はネドヴェドとマソプストだけ。したがってこのリストに入れないわけがない。

1950年代から60年代にかけてのチェコスロバキアを代表するスターだが、「兵役」として陸軍のクラブであるデュクラ・プラハで16年を過ごした。

8回のリーグ優勝、1967年のチャンピオンズカップ準決勝進出、そしてワールドカップ1962の準優勝。クラブでも代表でも目覚ましいプレーを見せ、サッカー界にその名前を残した。2015年に84歳で死去している。

マーシュ・ロシツキー

ロシツキーほどファンに愛される選手はいなかった。その繊細なテクニックと「マエストロ」と言われるほどの優雅さに、壊れやすい儚さが相まって、まるで芸術品のようなプレーヤーであった。

スパルタ・プラハでプレーしていた2000年にチェコ代表デビューを飾り、それから2016年まで105試合に出場し23ゴールを決めた。クラブレベルでもボルシア・ドルトムントとアーセナルで成功を収め、愛するスパルタ・プラハに戻ってスパイクを脱いだ。

ヤン・コレル

今なお「伝説の巨漢ストライカー」である。

2メートルを超える身長を持ちながらも足元の技術もあり、懐深くボールを収められた。空にも地上にも対応できるハイタワーとして、周りを生かし、周りに生かされる選手だった。

ロシツキーらとともにタレントが集まったチェコ代表の最前線を任され、3度のEUROとワールドカップに出場。91capで55ゴールを決めるなど、エースストライカーでもあった。

カレル・ポボルスキー

1990年代のチェコで最も偉大な選手といえば、このポボルスキーにほかならない。

マンチェスター・ユナイテッドでも2シーズンプレーした名ウインガーであり、ベンフィカやラツィオでもプレーしてインパクトを残した。

チェコスロバキアが分裂した直後に行われたチェコ代表の最初の試合、そこで22歳のポボルスキーが国際舞台にデビューした。それから2006年まで118試合に出場し、EUROに3回、ワールドカップに1回参加している。

アントニン・パネンカ

PKで用いられるチップキックは通称「パネンカ」と呼ばれるテクニックだ。その呼称はもちろん彼から来ている。

プラハで生まれた彼は素晴らしいパスとフリーキックを持つアタッカーで、ボヘミアンズ・プラハとラピド・ウィーンで活躍した。

チェコスロバキア代表として臨んだEURO1976の決勝戦。ドイツを相手に2-2とタイスコアのまま延長戦を終え、試合はPK戦に持ち込まれた。

5人目のキッカーとなったパネンカは、名手ゼップ・マイヤーを相手にチップキックでゴールを決め、チェコスロバキアに初のEUROタイトルをもたらした。

ヨゼフ・ビカン

チェコの歴史上最も多くのゴールを決めた選手として知られる伝説的なストライカー。

その記録は495試合の出場で798ゴール、そして代表で34試合29ゴール。人生で827回の得点を決めたという。一説には記録を総合すると948に達するとも…。

「サッカーの歴史上もっとも多くのゴールを決めた選手」のひとりとされていたが、昨年にクリスティアーノ・ロナウドがその記録を抜いている。

マレク・ヤンクロフスキ

サイドバックが本職ながら、2007年にはチェコ年間最優秀選手に輝いたヤンクロフスキ。

2000年のオリンピックを皮切りに、1回のワールドカップと3回のEUROに出場するなど、長くチェコの中心選手だった。

またその多様性は見事なもので、左サイドであれば前から後ろまで全てをこなし、攻撃も守備も水準以上の働きをした。またACミランではチャンピオンズリーグ優勝、クラブW杯優勝も経験している。

パトリック・ベルガー

他にもミラン・バロシュやヴラディミール・シュミツェル、アントニン・プチなど名選手は数多いが、最後の一人は90年代に活躍した名MFのパトリック・ベルガーをピックアップした。

トラブルによって代表を28歳で離れたとはいえ、そのcap数は44。しかもそのなかで18ゴールを決めている。

激しいプレーと強烈な左足、そしてエネルギッシュな走りで知られた彼は、EURO1996で非常に重要な役割を果たし、決勝戦でもゴールを決めた。

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ピッチの内外でインパクトが強い選手であったこともあり、今も印象深い存在である。

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