通算219本塁打のペピトーンが死去 1973年にヤクルトで14試合出場

日本時間3月14日、主に1960年代のヤンキースで活躍したジョー・ペピトーンが82歳で死去した。ニューヨーク州ブルックリン生まれのペピトーンは、1962年に21歳でメジャーデビュー。翌1963年から3年連続でオールスター・ゲームに選出され、ゴールドグラブ賞も3度受賞した。1970年以降はアストロズ、カブス、ブレーブスを渡り歩き、1973年6月には日本プロ野球のヤクルトアトムズ(当時)に加入。しかし、素行の悪さばかりが目立ち、翌1974年3月に退団して現役生活を終えた。

1962年にデビューしたペピトーンは、1963年に27本塁打、89打点を記録してオールスター・ゲーム初選出。1964年に自己最多の100打点、1966年にはこちらも自己最多の31本塁打をマークするなど、ヤンキースの正一塁手として活躍したが、低打率かつ早打ちで出塁率も低かったため、規定打席以上でOPSが.800を超えたシーズンは1度もなかった。また、1967~68年は故障したミッキー・マントルの代役として主に中堅手を務めている。

1969年オフにアストロズへトレードされ、1970年7月にはカブスへ移籍。1973年5月にはブレーブスへ放出され、メジャー12年間で4球団に在籍して通算1397試合に出場した。通算成績は1315安打、打率.258、219本塁打、721打点、OPS.733となっている。ヤクルトではわずか14試合の出場で打率.163、1本塁打、2打点、OPS.498に終わった。引退後はヤンキースでコーチを務め、フロントオフィス入りした時期もあったが、素行の悪さも影響したのか、長続きしなかった。

ヤンキースは「ジョー・ペピトーンの死去に深い悲しみを感じています。彼の遊び心、カリスマ的な性格、フィールド上での貢献は、1960年代の在籍期間を超えて、何世代ものヤンキースファンに愛されていました」との声明文を発表。「生粋のニューヨーカーであり、オールスター・ゲーム選出3度、ゴールドグラブ賞3度などの実績を残した彼は、ヤンキースの選手であることに誇りを持っていました」とペピトーンの死を悼んだ。

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