私はただ住民の声を届けているだけ|日本共産党 元奈良県議会議員 宮本 次郎氏(PR)

宮本次郎氏は奈良県平群(へぐり)町在住。

宮本氏は高校3年生の時に障がい児教育に出会い、大学進学を決意。新聞奨学生として毎朝3時に起きて新聞を配るという生活をしていました。

仲間が新聞奨学生を辞めていくなか、学費値下げの署名活動をきっかけに「誰もが平等に教育を受けられる社会にしたい」と政治に興味を持ち、次第に政治家を目指すようになります。

宮本氏は2007年から4期12年に渡り奈良県議会議員を勤めてきました。

地域住民主体の活動を後押しする形で医療や交通機関の設備充実に貢献してきましたが、2019年の県議会議員選挙では落選。

一度は議席を失いましたが、その期間中もメガソーラー反対運動の支援をはじめ、様々な町の課題に取り組んでいます。

政治家を目指したきっかけや議員時代の経歴、今後の展望などを伺いました。

全くなついてくれない障がい児がきっかけで猛勉強!

選挙ドットコム編集部(以下、編集部):

政治家になろうと思ったきっかけを教えてください

宮本次郎氏(以下、宮本氏):

私はもともと政治家になろうと思っていたわけではありません。
むしろ学生時代は「将来何をしたらいいか分からない」と勉強にも手がつかない学生でした。

高校3年生の夏休み、高校の図書室で勉強もせずに涼んでいたところ、「障がい児の学童ボランティア」を先生から勧められました。

そして、勉強もしたくないし「とりあえず行ってみよう」と思ったことが、私の運命を大きく変えたのです。

初日、どうやって関わっていいか分からないまま一日が過ぎました。

「しばらく関わっていれば慣れるだろう」と思っていましたが、いつまで経ってもうまく関わることができず「一生懸命関わってるのに何でうまく行かないんだろう……」とただただヘコむばかり。

しかし夏休みも後半、元養護学校教諭のアドバイスを受けながら子どもと関わるうち、徐々に距離を感じていた子ともコミュニケーションを取れるようになっていきました。

「子どもを成長させよう」と考えていた時はうまくいかなかったけど、自分が成長したら一緒に遊んでもらえるようになったんです。

高校3年生の私が小学校2年生の子に成長させてもらった、新鮮な経験でした。

この経験をきっかけに私は、大学進学を決意。猛勉強を開始しました。

毎朝3時に起きて新聞配達が当然だと思ってたけど……

一度の浪人を経て、大学へと進学します。しかし、家に経済的な余裕はありませんでした。

親に負担をかけたくなかった私は「新聞奨学生」の道へ進みます。
(新聞奨学生は大学卒業まで新聞配達を続けると新聞社が学費を肩代わりしてくれる制度です。)

毎朝3時起きで、休みは月に1回の休刊日だけ。
様々な事情で続けられず、大学を辞めてしまう元同級生もたくさん見てきました。

そんな中、大学の学費値下げの署名運動をする自治会の学生たちと出会います。

「本来、教育は社会保障であり、社会が恩恵を受けるのだから学費は無償にすべきだ」という彼らの考えは、私にとって「目からウロコ」でした。

当時は日本の学費が高いことについて、それまでは当然だと思っていましたが、多くのヨーロッパ諸国の大学は無料。もしくは給付型の奨学金があることを教えてもらいました。

大学に通い続けられない仲間達を見てきた私は、すぐさま学費値下げ活動に参加。
集めた署名は学生の声として国会に提出しました。

この時に初めて「政治には社会を変える力がある。選挙政治は自分の願いをかなえるための手段なんだ」ということが理解できたのです。

署名を行っていた先輩方より「次郎君ももっと勉強せんか?」とお誘いいただき、あらためて世の中の仕組みの勉強をはじめました。

編集部:

当時は、政治家になろう!とは思っていなかったんですか?

宮本氏:

はじめは政治家になるつもりは全くありませんでした。

最初は「学費で困っていたので助けてほしい」という自分の気持ちだけ。

それが世の中の勉強をしていくうちに、

「あらゆる人が教育や夢を諦めなくていいように、この社会を変えていきたい!」「欧米諸国のように、誰もが教育を無償で受けられる社会を実現したい」

そんな強い思いが私の中で芽生えてきました。

残念ながら署名活動の成果はすぐに得られませんでしたが、一方で「世の中のために自分には何ができるのか」という視点で物事を見るようになりましたね。

その後、一度は落選するも二度目の選挙で当選、議員としてより深く県政に関わることができました。

遺族の声から周産期医療センターの設置を実現

編集部:

議員時代に取り組んだことを教えてください

宮本氏:

12年間の議員時代で特に印象に残っているのは、周産期医療センターの設置です。

初当選する直前の2006年の夏、奈良県内で出産中の女性が死亡したニュースが報じられました。

出産中に意識不明の重体になりましたが、なかなか救急搬送先の病院が見つかりませんでした。

大阪の病院にて男児を出産されるのですが、女性はしばらくしてお亡くなりになりました。

緊急搬送された際に、受け入れを断られた病院は19ヶ所になります。

その後、女性のご遺族は私の所属する共産党に連絡をくださいました。

私たちが「周産期医療センター(お産の救急病院)の設置」を求めて活動していることを知ったためです。

私は「一人の力では弱いので、賛同者を集めて世論にしましょう」とお声がけをしました。

ご遺族の運動は、奈良で「お産の安心を」という運動が広がるきっかけにもなったんです。

私も「周産期医療センターを奈良で実現しよう」を公約に掲げ、県議会議員選挙に臨みます。

幸いにも当選した議会の初質問、私は「ご遺族の声」を伝えました。

その後も全国の周産期医療センターへ視察に行ったり、厚生労働省に行って国会にも取り上げてもらったりと活動。

当選から2年目に、奈良県への周産期医療センターの設置が決まりました。

「やっと実現したね!!!」と、ご遺族の方と手をとって喜びました。

勇気を出して遺族の方が前面に立って頑張ってくれたおかげで、奈良県の医療は明確に変わりました。

実はその時に生まれた男の子と私の息子は中学校の同級生。

中学校の卒業式で、息子と男の子とそのお父さんと握手を交わした時は、思わず涙が出ました。

「良かったなぁ!あの時の子がもう中学卒業か!」と。

15年前の出来事ですが、思い出すと今も胸が熱くなります。

この経験からも、「政治は議員だけが動かすものじゃない。当事者や住民運動、それに共感する人の輪が広がって動くんだ」ということを学び、ずっと大事にしています。

他にも議員時代に行ってきたことや、実現できたこと、また学生時代取り組んでいた教育についても下記の動画でお伝えしていますので、ご覧いただけると嬉しいです。

選挙に落選したあとは何をしていたか?

編集部:

素敵な動画ですね。前回の選挙では惜しくも落選されてしまいましたが、議員ではない期間にはどんなことをされていたのですか?

宮本氏:

地元では様々な課題がありましたが、議席がない私は、共産党県議団で議会に質問するという形で地域に関わっていました。

今も現在進行形で関わっているのが、「メガソーラー建設の反対運動」です。

私は奈良県平群(へぐり)町在住ですが、2019年に私が落選した直後に、地元の町議会でメガソーラー建設の話が出ました。

生駒山の奈良側の斜面に、甲子園球場12個分(奈良県でも3番目の広さ)の規模のメガソーラーを設置するとのこと。

私はすぐさま県に情報開示請求をして、業者の情報や申請書などを入手、専門家にも見てもらいました。

すると、申請書類に数値の偽装や、安全設備を安く済ませる偽装が判明!すぐに議会で取り上げてもらいました。

偽装した設備では、山の斜面の土砂崩れなど災害が発生する恐れがあります。

また送電の計画では、高圧電線を町の地下に引く予定ですが、これは通学路の1メートル下に2万ボルトの高圧電線が走ることになります。

万が一、高圧電線が露出して事故が起きたら大惨事ですが、業者は住民に対してまともな説明会も開いてくれず、不信感が募っていました。

そこで住民は、「メガソーラーを考える会」を専門家も交えて立ち上げ、建設取り消しを求める署名運動を実施。

人口1万8,000人の町で、9,600人分の署名を県に提出しました。

今も980人の原告団で工事差し止めの裁判を戦っています。

行政指導が入ったことで、工事は一時中断。条例も作られることになりました。

署名運動の成果と言えますが、まだ中身は不十分。

法令に基づいて工事の計画を立て直させる必要がありますし、安全対策ができなければ工事の再開は認めないことを訴える予定です。

私はただ住民の声を届けるだけ

編集部:

今後、どのように県政を進めていきたいですか?

宮本氏:

共産党の基本的な考えは、あくまで「住民や国民が主役」です。これまでと同様に、住民の多数派の声を世の中に伝えていきたいと思っています。

住民の思いを乗せて質問できるのが「共産党ならでは」であり、面白さですね。

議員の役割は答弁を住民に返して運動に生かしてもらうことです。

「まだ世の中に十分届けられていないから、もっと運動を頑張りましょう」「変化があったから、実現に向けてこういうことを質問しましょう」

こんな具合に答弁をフィードバックし、実現に向けてさらに動くのです。

良い答弁が引き出せるかどうかも議員としての腕の見せどころですね。

(※ 写真は現職時)

編集部:

ありがとうございました!
最後に、プライベートについてお聞かせください。

宮本氏:

私は趣味といえるものはありません。強いて言えば子どもと遊ぶことが趣味でしたね。

ずっと共働きで、保育園や学童の送り迎えは私の担当。買い物の帰りにガチャガチャをしたり、外で遊んだりしていました。

今20歳の長女とは、大学でどんな勉強しているの?とか、今はやりのアイドルは?とか他愛もない話をしています。

高校1年の下の息子は高校野球をやっていて、ひたすら野球の話ばかり。「あの高校の〇〇監督がすごい」と、目を輝かせています。

子どもたちと喋るのが楽しくて、どんなに忙しくても時間を作っています。特に「娘には弱いな」ってみんなに言われますね。

最近は娘と会話をするためだけに、車で20分ぐらいかけて娘のバイト先に迎えに行っています。

「電車だと40分ぐらいかかるから車で迎えに来て」と言われると、悲しいかな、しゃべりたいから迎えに行っちゃうんですよね(笑)

そんな娘も2年前の衆議院選挙の時に初めて有権者になりました。

その選挙では、私が衆議院選挙の候補者になったので、「初めての選挙で投票用紙にお父さんの名前を書いたよ!」と喜んでくれました。(私も嬉しかったです。)

娘はもうすぐ卒業ですが、次を担う世代に「より学びやすい環境」を構築できれば、と切に思います。

娘が一緒に選挙カーに乗って「19才の主張」の演説をしてくれた時の映像

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