現在では世界で最も成功しているクラブの一つとなったマンチェスター・シティ。そのきっかけは2008年にシャイフ・マンスールらによる買収であり、多額の資金を獲得したことだ。
しかし、1990年代の終わり頃には3部リーグに降格していたこともあり、タイトルからも40年以上遠ざかっていた。
今回は、そんなマンチェスター・シティで2000年から2008年までプレーしていた選手の中から「暗黒期のベストイレブン」を選出してみた。90年代についてはまだ今度…。
GK:ニッキー・ウィーヴァー
マンチェスター・シティ所属:1997~2007
マンチェスター・シティでの成績:172試合0ゴール
現在:シェフィールド・ウェンズデイのアカデミーでGKチーフコーチ
国籍:イングランド
デイヴィッド・ジェームズも捨てがたいところだが、やはり2000年代前半のマンチェスター・シティといえばニッキー・ウィーヴァーである。マンスフィールドから1997年に加入して2部昇格、プレミアリーグ昇格に貢献。ピーター・シュマイケル、デイヴィッド・シーマン、そしてデイヴィッド・ジェームズが加入した後も信頼できるセカンドキーパーとしてチームの欠かせない一員となっていた。
引退後はシェフィールド・ウェンズデイで指導者となり、アカデミーからトップチームまで様々な役割を任されている敏腕コーチとなっている。現在はアカデミーのゴールキーパーを統括するチーフに。
右SB:マイカー・リチャーズ
マンチェスター・シティ所属:2005~2015
マンチェスター・シティでの成績:179試合6ゴール
現在:サッカー解説者
国籍:イングランド
他にも右サイドバックの候補はいるが、マイカー・リチャーズのインパクトは凄まじかった。アカデミーから昇格して10代でポジションを確保し、圧倒的な身体能力でいきなりプレミアリーグで活躍。将来のイングランド代表を背負う存在になるとも期待された。
ただ、度重なる怪我のためにその選手としてのピークは19~21歳のときだった。それ以降はなかなかコンディションが整わず、「アブダビ買収以前の生き残り」としてクラブに愛されながらもピッチ上では活躍することができなかった。現在はテレビなどで面白い発言をする売れっ子のサッカー解説者となっている。週3回散髪をするという。
CB:リチャード・ダン
マンチェスター・シティ所属:2000~2009
マンチェスター・シティでの成績:296試合7ゴール
現在:サッカー解説者
国籍:アイルランド
マンチェスター・シティの伝説的なセンターバックとして、リチャード・ダンの名前を上げないファンはいないだろう。アイルランド人の屈強なDFはエヴァートンから2000年に加入し、対戦相手を恐怖に陥れる激しいプレーと強烈な空中戦で活躍。26歳でキャプテンを受け継ぎ、長くリーダーとしてチームを支えた。
マイカー・リチャーズ曰く「彼はジョン・テリーやリオ・ファーディナンドと同じレベルのリーダー」だという。ちなみに8回の退場はプレミアリーグタイ記録で、10回のオウンゴールは前人未到のプレミアリーグ最多記録。現在は知的なトークで知られる堅実なサッカー評論家。
CB:シルヴァン・ディスタン
マンチェスター・シティ所属:2002~2007
マンチェスター・シティでの成績:178試合5ゴール
国籍:フランス
現在:解説者、慈善活動家
そのリチャード・ダンにキャプテンを任せた前任者がシルヴァン・ディスタンだった。ヘラルト・ウィーケンスとも迷ったものの、2000年代の実績では彼のほうが上だろう。190cmを超える大柄な体格を持ちながら、左利きだったことからサイドバックもこなせたという選手。シティで5シーズンにわたってレギュラーを務め、2007年にポーツマスへ移籍している。
ちなみにプレミアリーグでの出場数は469試合で、外国人としては出場数記録4位となる。1位がギグス、2位がギャリー・スピード、3位がマーク・シュウォーツァーなので、「イギリス人以外のフィールドプレーヤー」ならばトップである。
引退後は監督を目指そうとしたが「黒人にはチャンスが少ない」と考えて挫折したそう。先日はウクライナを支援するために1300kmに及ぶサイクリングを行い多額の支援金を集めている。
左SB:孫継海
マンチェスター・シティ所属:2002~2008
マンチェスター・シティでの成績:130試合3ゴール
現在:企業経営者、指導者
国籍:中国
マンチェスター・シティ初のアジア人選手であった孫継海。2002年2月に加入したときには疑念の目も向けられたものの、その堅実なディフェンスと機を見た的確な攻撃参加ですぐにファンの心を掴み、クラブの人気選手となった。
2004-05シーズンにグジョンセンとの接触で前十字靭帯を断裂してからは怪我に苦しめられるキャリアになってしまったものの、今のようにアジア人が多数プレーするような状況ではないプレミアリーグで130試合に出場した。引退前に『HQ Sports』という会社を設立しており、現在は実業家としてスポーツテクノロジーやメディア、データビジネスを行う傍ら、指導者としても活動する。
CMF:ジョーイ・バートン
マンチェスター・シティ所属:2002~2007
マンチェスター・シティでの成績:130試合15ゴール
現在:ブリストル・ローヴァーズ監督
国籍:イングランド
近年は暴力行為とギャンブルばかりが話題になっていたバートン。マンチェスター・シティのアカデミーで育ち、2002年にトップチームへと昇格すると、すぐにプレミアリーグで出番を獲得。溢れんばかりの闘争心とそれに似合わぬ技術を備えており、どんな相手にも臆せず戦うセンターハーフであった。意外にも、2006-07シーズンは彼がマンチェスター・シティのチーム得点王である。
ギャンブルで長期の出場停止を受けたことをきっかけに引退すると、指導者の道を選択。2018年からはフリートウッド・タウンを指揮し、2021年2月にブリストル・ローヴァーズへと招聘された。監督としても時々暴行や暴言で話題を振りまいている。
CMF:スティーヴン・アイルランド
マンチェスター・シティ所属:2005~2010
マンチェスター・シティでの成績:138試合16ゴール
現在:ユース年代の指導者
国籍:アイルランド
マンチェスター・シティのアカデミーから2005年に昇格。いきなり夏の親善試合でレギュラーに抜擢されると、プレミアリーグ初年度からチームの中心的な存在となった。デビューから数年間のインパクトはマイカー・リチャーズに勝るとも劣らないもので、将来のクラブを背負って立つとも評価された。
ただ祖母が死んだと嘘をついて代表を離脱したり、メンタルを崩したりして、20代中盤には早くも全盛期を終えてしまった。2018年に現役を引退してからは指導者に転身しており、栄養学や睡眠、メンタルヘルスなどを混ぜた育成に力を注いでいるという。
AMF:アリ・ベナルビア
マンチェスター・シティ所属:2001~2003
マンチェスター・シティでの成績:71試合11ゴール
現在:解説者、司会者
国籍:アルジェリア
マンチェスター・シティでプレーしたのはわずか2シーズンながら、歴代のベストイレブンにも入れられることがある伝説的なアタッカー。171cmと小柄な体格であったが、「アルジェリアン・マジシャン」や「指揮者」と呼ばれたほどの巧みなタッチとスピード変化を持ち、ファンタジーあふれるチャンスメイクが魅力だった。
1年目はクラブの年間最優秀選手賞を獲得したものの、2シーズン目は34歳という年齢もあって身体が悲鳴を上げ、2003年夏に現役引退を発表。ただその後中東で現役続行しており、現在もカタールの放送局で解説者や司会者を務めている。
AMF:ショーン・ライト・フィリップス
マンチェスター・シティ所属:1999~2005、2008~2011
マンチェスター・シティでの成績:217試合35ゴール
現在:解説者
イアン・ライトの養子としても知られるショーン・ライト・フィリップス。17歳でノッティンガム・フォレストの下部組織から放出されてマンチェスター・シティに移籍、1999年にトップチームへと昇格した。小柄ながらも圧倒的なスピードでサイドを切り裂くウインガーで、若くしてプレミアリーグのピッチで躍動した。プレースタイルもあって選手としてのピークは20代前半だったが、そのインパクトは素晴らしいものだったといえる。
キャリアの終盤はアメリカに渡って弟ブラッドリーとともにプレー。引退してからはコメンテーターを務めるほか、マンチェスター・シティの大使のような活動でよくファンの前に顔を見せている。息子のディマージョは現在ストーク・シティでプレー。
FW:ニコラ・アネルカ
マンチェスター・シティ所属:2002~2005
マンチェスター・シティでの成績:89試合37ゴール
現在:指導者
国籍:フランス
マンチェスター・シティでは3シーズンしかプレーしていないため、ポール・ディコフやパウロ・ワンチョペらとも迷ったが、やはり影響力という点ではアネルカであろうか。2002年の夏に加入したときは「あのアネルカがプレミア昇格組のシティに?」と驚かされたが、エースとして2シーズンはチーム得点王となる活躍を見せた。
なお引退後は指導者となっており、リールの下部組織で育成に関わったほか、イエールというクラブでディレクターを務めていたことも。現在は何をやっているか不明。
FW:ショーン・ゴーター
マンチェスター・シティ所属:1998~2003
マンチェスター・シティでの成績:209試合70ゴール
現在:指導者
国籍:バミューダ
2001-02シーズンに2部リーグ得点王となり、マンチェスター・シティをプレミアリーグに引き上げた伝説的なストライカー。彼が加入したときはシティのまさに暗黒期で、2部の下位に沈んでいた。しかも結局3部に降格してしまったのだが、そこから活躍したのがこの40万ポンド(およそ6000万円)で加入したゴーターであった。
3シーズン連続でチーム得点王となった彼はマンチェスター・シティのサポーターから崇められるような存在に。後にアネルカの加入でポジションを失ったが、今もクラブの隠れたレジェンドとして評価されている。現在はマンチェスター・シティのアカデミーの各年代を広く指導する立場。