【WBC オーストラリア代表】デーブ・ニルソン監督 初の準々決勝進出 そして韓国代表との繋がり

チェコ戦に勝利し準々決勝進出を果たした際のインタビューに応えるオーストラリア・ニルソン監督 @Getty Images

現在も熱戦が繰り広げられている2023ワールドベースボールクラシック(WBC)の準々決勝ラウンド キューバ対オーストラリアの試合が15日に行われ、4対3でキューバーが勝利し、準決勝へ駒を進めた。

オーストラリアにとって、WBCでの準々決勝進出は史上初のこと。オーストラリア代表は、2020年にメジャーデビューを果たし、マイナーでは通算7シーズンで180盗塁を記録しているスピードが持ち味のアーロン・ホワイトフィールド(26)だけが唯一のメジャー経験者である。大部分はオーストラリアプロ野球とマイナーリーグ所属選手たちで構成されたが、グループリーグ初戦で韓国を8対7で破り、その勢いのまま1次ラウンドを3勝1敗の成績で準々決勝進出を果たしていた。

オーストラリアの史上初の8強行きを率いたデーブ・ニルソン(53)監督は、現役時代メジャーリーグで、通算105ホームランを記録したオーストラリア野球の伝説的人物でもある。1992年ミルウォーキー・ブリュワーズでメジャーリーグデビュー、1994年から1999年まで6年連続2桁ホームランを記録し、1999年には野茂英雄とバッテリーを組み、同年にはオーストラリア出身の選手として初めてオールスターにも選出され、打率.309、出塁率.400、長打率.554、OPS.954を記録していた。

ところがそのニルソンのメジャーリーグの最後のキャリアは1999年で終わっている。当時彼の年齢は29歳。彼のメジャーリーグのキャリアはなぜ1999年からストップしたのだろうか。

当時、ニルソンは、2000年に行われるシドニーオリンピック出場に向けた熱意があり、オリンピックがメジャーリーグのシーズン期間と日程が重なるため、現役生活を延長する一方、オリンピック出場の機会も得られる選択肢として、日本の中日ドラゴンズ入団を選んだ。ニルソン加入の中日ドラゴンズでは、熾烈なレギュラー争いが繰り広げられることになり、すでに4番打者として活躍していたレオ・ゴメスとニルソンが1軍登録、もう一人の外国人選手イ・ジョンボムは2軍登録となった。

ディンゴという愛称でプレイしたニルソンは、打率.180 ホームラン1本、8打点にとどまり、結局シーズン途中で退団することになり、2軍にいたイ・ジョンボムが1軍での出場機会を得て、打率.275 ホームラン8本、37打点と記録しニルソンの抜けた穴を埋めることに成功していた。

ニルソンは日本でのキャリアは成功とは言えないものの、2000年のシドニーオリンピックでは野球オーストラリア代表に選出され、日本戦で黒木知宏からホームランを放った。指名打者と一塁手で出場し、13安打で打率.565と活躍した。2004年アテネオリンピックでも、準決勝で日本を無失点に抑えて勝利し、銀メダル獲得に大きく貢献した。2006年のWBCが、選手として国を代表して出場した最後の大会となる。引退後、オーストラリアプロ野球で指導者のキャリアを積んだニルソンは、2018年オーストラリア代表チーム監督に選任され、指導者としても代表の夢を勝ち取った。

さらに、2019年プレミア12に出場した際、試合会場となった韓国に訪問していたニルソン監督は、当時1次ラウンドで対戦した韓国に0対5で完敗することになったが、その時の韓国チームの3番打者はイ・ジョンボムの息子イ・ジョンフだった。試合後の記者会見で「イ・ジョンボムの息子であることを知っているか」という質問に「知らなかった。教えてくれてありがとう」とコメントしていた。

そして、今大会1次ラウンド初戦で韓国野球界のスター選手に成長したイ・ジョンフがいる韓国代表を接戦の末下し、プレミア12での借りを返した上に初の準々決勝進出を果たしたネルソン監督。まだまだニルソン監督のベースボールヒストリーは続きそうだ。

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